抄録
中央ユーラシア牧畜地域の東端に位置しているモンゴル高原は、遊牧(移動牧畜)が主たる生業であるという点で中央ユーラシアとしての共通性が見られる一方、その立地条件ゆえ、遊牧のあり方や歴史的変遷については独自性を有している。本発表では、まずモンゴル高原における遊牧の起源と歴史的展開について概観した後、災害リスク回避行動としての交易とオトル、およびモンゴル高原における遊牧の現況について検討する。現在のモンゴル高原における移動牧畜のあり方を特徴付けている要素の一つとして、大型家畜を活用した機動性の高さがある。この機動性は日々の放牧においても、住居の移動を伴う移動においても活用されている。ことにウマの多さは、生業的な文脈における効率のみならず、歴史的には軍事的な優位性も提供してきた。その意味で、モンゴル高原における遊牧の歴史は、同地域における騎馬の開始にその起源を設定して差し支えない。林(2012)によれば、中央ユーラシアでは今から約3000年前に家畜を季節移動させる遊牧的な生業形態が発生し、同時に騎馬が確立したと推定されている。その後の歴史的展開や民族誌的見地から見ても、モンゴル高原中央部を占めているのは各時代の優勢な集団であり、そうした優位性は大量のウマに支えられた軍事力と同義だったという意味で、モンゴル高原とウマ飼養は密接な関係にある。モンゴル高原で行われている遊牧の別の特徴として、牧畜の専業性が高い点が挙げられる。この理由は、モンゴル高原の生産力の高さも考えうるが(Ex. 小長谷・渡邊 2012)、仮にそうだとしても、ゾド(寒雪害)などの自然災害に見舞われれば短期間に多数の家畜を失うことは、近年の経験などからも明らかである。こうしたリスクを回避する行動として、外部社会との交易などによる富の形態変換と、モンゴル語で「オトル」と呼ばれる、主に災害時に行う緊急避難的かつ不規則な移動が挙げられる。20世紀に入り、モンゴル高原が近代国家の枠組みに組み込まれることで、遊牧は近代国家の介入に起因する影響を多大に受けてきた。中国領内モンゴルでは、1990年代には季節移動もオトルもままならない状況となっている。モンゴル国においては現在も季節移動が見られる一方、2000年頃より都市近郊に移住した定住的牧民が増加し、高密度・低季節移動の牧畜を展開するようになっている。