抄録
I 背景と目的
市区町村よりも小さい空間単位で集計された小地域統計は,対象とする地域全体をミクロな空間単位で扱うことのできる研究資源であり,都市地理学を中心として人文地理学の諸分野で盛んに用いられてきた.日本における小地域統計の本格的な整備は,国勢調査結果を中心に1960年代に始まっており,社会地区分析や因子生態研究など,小地域統計を活用した都市地理学的な研究の多くは,おおむね1970年代以降に行なわれている.一方,1960年代以前については,1950年代以降の統計局による小地域統計の整備史がまとめられているものの(梶田2008),自治体などによる局地的な作成状況や,1960年代以前の小地域統計の資料的な価値などはこれまで明らかにされてこなかった.
そこで,報告者はこれまでに,戦前からの日本の大都市である六大都市(東京,横浜,名古屋,京都,大阪,神戸)に対象を絞り,国勢調査を中心とする人口調査に関する小地域統計(小地域人口統計)の作成・残存状況を調査し,入手した資料のデジタル化と対応するポリゴンデータの作成を行ない,近現代の小地域人口統計に関するGISデータベースの構築を進めてきた(桐村2011).本研究の目的は,社会地区分析や因子生態研究などの居住地域構造研究に対する,これまでに構築してきた六大都市に関する小地域人口統計のデータベースの利用可能性を示すことである.そのうえで,発表に際しては,本データベースが日本の都市地理学に対してどの程度貢献しうるのかについても若干の検討を加え,紹介する予定である.
II 本データベースの概要
六大都市における小地域人口統計の作成・残存状況について調査した結果,第2次世界大戦前後を除けば,1910年前後から1990年までの多くの時点に関する,町丁・字単位の小地域人口統計資料の残存を確認でき,入手することもできた.しかし,継続的かつ各都市で共通して利用可能な集計項目は,総人口,男女別人口,世帯数という基本的な項目に限られている.小地域人口統計資料のデジタル化および対応するポリゴンデータの作成に関しては,町丁・字単位かつ基本的な項目のものから優先して進め,Excel形式での統計データの作成を完了した.ポリゴンデータに関しては,現在,東京および京都のみ,すべての時点の統計データに対応するデータの作成が完了している.
III 居住地域構造研究における課題とそれに対する利用可能性
居住地域構造研究に関する既往研究の動向について整理した上野(1982)は,都市の居住地域構造を発達史との関連から総合的に解明しようとする長期的な視点からの研究が増加しているものの,日本の都市に関しては,そうした事例が少ない点を指摘している.現在でも,1960年代以前の日本の都市を対象とした研究や1960年代以前を含む長期的な視点からの研究は,上野(1981)を除けばほとんどない.報告者による六大都市に関する小地域人口統計資料の残存状況の調査によれば,多くの都市に関して,戦争前後の時期を除く,少なくとも1910年前後から1990年までの間の小地域人口統計を連続的に利用できる.そのため,1960年代以前の日本の都市を対象とした,長期的な視点からの都市の居住地域構造の分析は一定程度可能と考えられる.
しかし,都市の居住地域構造は,地域的な差異があるにせよ,一般的に3つの主要な次元(社会経済的状況,家族的状況,民族的状況)によって構成されると考えられており,職業や世帯構成,国籍などの変数が利用できる必要がある.本データベースにおいて連続的に利用可能な集計項目は,総人口や男女別人口,世帯数という基本的な項目に限られるため,3つの主要な次元のうちでは家族的状況と関連した検討のみが可能である.ただし,特定の都市や時点によっては,職業や国籍に関する集計項目が利用でき,断片的な分析を行なうことは可能である.
発表では,本データベースにおいて利用可能な項目やその空間分布を示しながら,より具体的に利用可能性を示していきたい.
参考文献
上野健一1981.大正中期における旧東京市の居住地域構造―居住人口の社会経済的特性に関する因子生態学研究.人文地理33: 385-404.
上野健一1982.都市の居住地域構造研究の発展―因子生態学研究と都市地理学研究との関連を中心として.地理学評論55: 715-734.
梶田 真2008.国勢調査における小地域統計の整備過程とその利用可能性.東京大学人文地理学研究19: 31-43.
桐村 喬2011.日本の六大都市における小地域人口統計資料の収集とデータベース化―近現代都市の歴史GISの構築に向けて.人文科学とコンピュータシンポジウム論文集2011-8: 169-176.