日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S1507
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発表要旨
「花街」からエスニック空間へ
大阪市生野区新今里におけるエスニック・コンフリクトの表出
*福本 拓
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抄録

Ⅰ はじめに
一般的に,特定の地域におけるエスニック・コンフリクトの表出は,文化的に異なる集団の増加に伴って既存集団との間で生じる社会生活上の軋轢と理解されよう。しかし,そうした軋轢や対立は,必ずしも集団間という位相でのみ捉えられるわけではない。住民の社会属性のほか,エスニック集団内部の差異にも目を向けなければ,コンフリクトの持つ重層性を看過することになろう。また,分析・考察に際しては,それらと密接に関連する地域的要因への着目も求められる。
日本における「ニューカマー」の増加とともに,地域スケールでの既存住民(主に日本人)との軋轢が話題になってきたが,韓国系「ニューカマー」に関しては,「オールドカマー」である在日朝鮮人との関係形成にも注意する必要がある。実際,東京都新宿区の新大久保や大阪市生野区のコリアタウンでは,日本人よりもむしろコリアン内部での対立が表面化しつつあるといわれる。
本発表では,同様の研究では蓄積の乏しい大阪市生野区新今里地区を事例に,コンフリクトの背景にある地域の変化に焦点を当て,その過程で「オールドカマー」が果たした役割を特に土地取得の観点から明らかにする。その上で,エスニック資源が果たした機能についても検討したい。
Ⅱ 対象地域の概要
新今里地区は,在日朝鮮人の多い大阪市生野区にあって「ニューカマー」の比率が高いことで知られる。なかでも,かつて「花街」として隆盛を誇った今里新地には,韓国クラブ等の飲食店が集中してエスニックな景観が見られる。
しかし,少なくとも1980年代前半までの新今里地区は,生野区において外国人数の僅少な「空白地帯」であり,『在日韓国人企業名鑑』(1974)から確認しても在日朝鮮人の事業所はあまり見当たらない。従って,コンフリクトの背景にある「ニューカマー」の増加を理解するためには,同地区が「花街」からエスニック空間へと変容した過程を検討する必要がある。
既に加藤(2008)が明らかにしているように,今里新地は1958年の売春防止法を契機に待合営業への転換を余儀なくされ,次第に斜陽化していった。その後,バブル期に待合の廃業と売却が相次ぎ,スナック・クラブの入居するビルや中層マンションが建設されたという。こうした経緯をふまえると,分析上,バブル期に相当する1990年前後に注目することが適当と考える。
Ⅲ 用いるデータ
本研究では,1980年~現代に相当する時期に焦点を当て,新今里地区の変容を特に土地・建物所有に着目して分析する。住宅地図のほか,土地・建物登記データを用いてビル・マンションの増加過程と所有者のエスニシティを明らかにする。
登記データは,抵当に関する情報も含まれており,そこから民族金融機関の役割を看取することもできる。なお,その有用性については,拙稿(2013)を参照されたい。
これらのデータに加え,在日朝鮮人の事業所に関する名鑑や,地元関係者への聞き取り調査結果なども適宜用いる。
Ⅳ エスニック空間への変容
待合営業に供された低層の住宅は,バブル期以前から減少傾向にあったものの,商業ビルが急速に増加したのは1990年以降である。その背景には「オールドカマー」による旺盛な土地取得があった点が指摘できるが,それ以外にも,かつて「花街」であったために都市計画法の用途地域規制に該当せず,風営法に基づくクラブ営業が可能だったことも影響している。また,韓国クラブの増加に伴い,訪れる客層がそれまでの「花街」のそれとは異なっており,このことが商業ビルやマンションへの転換がさらに進む一因にもなったと考えられる。もちろん,「ニューカマー」韓国人の急増は,韓国の海外渡航自由化に起因している点も見逃せない。
さらに,新今里地区では,ワンルームマンションの増加が果たした役割にも目を向ける必要がある。「ニューカマー」の住宅ニーズを満たしたほか,この地区で顕著な単身高齢者の増加とも関連している。このような住民構成の変化は,既存住民がコンフリクトと感じている状況を考察する上でも重要である。

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© 2014 公益社団法人 日本地理学会
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