日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 310
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発表要旨
南房総における民宿地域の変容
南房総市岩井地区を事例に
*太田 慧
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抄録

1研究背景と目的
大都市周辺の海岸観光地は,数ある海岸観光地の中で最も古い形態の観光地である.このため,近年の大都市に近い海岸観光地では衰退傾向が指摘されており,観光地における新たな地域問題となっている(Urry, 2002; Agarwal, 2007).東京大都市圏に位置する千葉県の南房総地域は,第2次世界大戦以前から海水浴客が訪れていた地域であり,海岸観光地としての長い歴史がある地域である(山村,2009).従来,南房総地域は東京方面からのアクセスが長年の課題であった.しかし,1990年代以降になると,東京湾アクアラインや館山自動車道の開通によって,東京や神奈川方面からのアクセスが著しく改善した.その結果,1980年代をピークに宿泊客数が減少した一方,日帰り観光客が増加傾向にある.このような状況から,南房総地域は日帰り観光地としての性格を強めており,従来の民宿地域は衰退傾向にある.そこで,本研究では房総半島有数の民宿集積地である南房総市の岩井地区を事例として,民宿地域の変容を明らかにすることを研究目的とした. 
 2研究方法
  本研究では,千葉県民宿組合連合会のデータから,房総半島における民宿の最大の集積地として南房総市の岩井地区を選定した.南房総における民宿地域の形成について,町史や地誌をなどの文献から示した.さらに,宿泊客数が最大であった1980年代と現在の民宿地域の構造の変化を,聞き取り調査や土地利用をもとに示し,民宿地域の変容について検討した.  
3岩井地区における民宿地域の形成
現在の岩井地区は南房総市の一地区であるが,2006年の町村合併以前は富山町に属していた.旧富山町は海岸側の岩井地区と山側の平群地区からなり,町の中央には南総里見八犬伝の舞台となった富山がそびえている.岩井地区に初めて海水浴客が訪れるようになったのは,明治時代のことである.明治時代の半ばになると,穏やかな海である岩井海岸が中学校の水泳訓練場として利用されるようになった.1918年に北条線(現・JR内房線)が那古船形駅まで延伸されると同時に岩井駅が開業すると,海水浴客や避暑客が増加していった.第2次世界大戦以降には,東京や埼玉などの臨海学校が次々に開設され,1964年にピークに達した(『富山町史』,1993). 
 4岩井地区における民宿地域の変容
富山町における海水浴客数は1980年代をピークに減少し続けている.南房総市の岩井地区では,2014年現在における民宿数は最盛期よりも減少したが,現在でも房総半島で最大の民宿地域として維持されている.この要因には,岩井海岸の海水浴場が内房の穏やかな海として臨海学校に利用されているほか,大学生のサークルや臨海学校などの団体客の合宿場として音楽スタジオや体育館や多目的ホールなどを積極的に設置することで,季節型の民宿から通年型の民宿への転換を図ってきた.宿泊客数は夏季の方が多いものの,大学生のサークルが利用することで冬季や春季にも一定の宿泊客が訪れている.  さらに,学生の団体客を対象とした「ビワ狩り」などの農業体験や,地域に伝わる昔からの漁法である「地曳網」体験など,農業や酪農や漁業の体験教室を開設することで,従来観光客が集中していた夏季以外の春季や秋季の集客を図っている.また,岩井地区の農家で生産されたビワを使ったワインづくりが行われ,有料道路と一般道の両方から利用できる「ハイウェイオアシス・道の駅富楽里とみやま」で販売されている.以上のように,岩井地区における民宿地域の維持システムには,合宿客をターゲットとした施設改修や農業や漁業をはじめとした地元の産業を活かしたイベントが関わっている. 
[参考文献]
富山町 1993. 『富山町史 通史編』, pp.476-484.
山村順次 2009. 5)南房総地域, 『日本の地誌5 首都圏Ⅰ』朝倉書店, pp.552-567.
Agarwal, S. and Shaw G. 2007. Managing Coastal Tourism Resorts –A Global Perspective.
Urry J. 2002. The Tourist Gaze Second Edition, pp.32 Sage.

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© 2014 公益社団法人 日本地理学会
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