抄録
18世紀の終わりから19世紀初頭にかけてイギリス北部の都市は急速に工業化し,蒸気機関数や石炭消費量が拡大した.この結果,大気汚染が深刻化し,1821年に「蒸気機関炉からの煙害訴訟促進法」が成立した.本発表では,ロンドンの水道会社が「煙害訴訟促進法」成立後に煤煙削減技術の導入を検討していたことに注目する.蒸気機関はジェームズ・ワットが回転運動を可能にする以前は,鉱山などで水を排出するためのポンプとして,都市では水供給のポンプとして利用されており,そのためロンドンの水道会社は煙を大量に発生させる産業と目されていた.
本研究では,「煙害訴訟促進法」成立時にはその有用性が強調されていた煤煙削減技術が,水道会社ごとに異なる評価を受けていたことを明らかにする.科学史や「知識の地理学」では科学知識の誕生や普及が,科学を支える制度,組織,政治体制など特定の条件に影響されることが論じられている.本発表では,ニュー・リバー水道会社が新たに注目され始めた煤煙削減技術をどのように評価したのかを,「知識の地理学」の手法を取り入れて検討する.
ニュー・リバー水道会社はロンドンの中心部に水を供給しており,17世紀初期に設立された歴史や供給範囲からもロンドンの代表的な水道会社であった.ニュー・リバー水道会社では煤煙削減技術の発明家であるJ. パークスから無料で二つの蒸気機関ボイラー炉の改良を行うと申し出をされたことを受け,二回の実験を行い,パークスの煤煙削減技術がどれほどの燃料削減を行えるのかを確かめた.その結果,パークスの技術では8%の燃料削減が可能になることが確認された.しかし,事前に燃料削減が10%以上でなければ,実験を失敗とみなし,設置を行わないと合意されていたため,パークスの技術はニュー・リバー水道会社には採用されなかった.
この実験はその後,パークスによって自らの技術の有用性の証拠として,ニュー・リバーによってパークスの技術の非実用性の証拠として正反対の扱いを受けていく.「煙害訴訟促進法」成立後,煤煙削減技術についてはその有用性を強調する立場とその非実用性を強調する立場の二つが現れるが,ニュー・リバーにおける実験はその両方の立場に論拠を与える結果となった.