日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 107
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発表要旨
近代首里の地域形成に及ぼす不在者の役割
*花木 宏直
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抄録

近代日本では,海外を含む人口移動の活発化がみられた。地域住民は,出身地にとどまらない多様な居住地の選択が増加した。既存研究においては,近代日本における地域形成の担い手として,地元有力者をはじめ,出身地に居住し続けながら,自身の利益を度外視して地域振興に貢献しようと行動する者に注目されるきらいがある。しかし,出身地に居住してきたが,生計維持といったさまざまな事情で転出しようとする者も少なからず存在する。一方,転出後,出身地との紐帯を維持しながら地域形成に貢献しようと行動する者がいれば,出身者でも現住者でもない者が偶発的に地域形成に関与する場合もある。とくに,近代の地域形成においては,出身地から転出した不在者こそが,出身地に居住し続けていては獲得することのできない莫大な資金の提供や,事業の停滞を解決し,地域形成に貢献しうるという特性がみられないか。以上の点を踏まえ,本発表は,近代において不在者が出身地の地域形成に果たした役割を検討することを目的とした。本発表の研究対象地域として,沖縄県旧首里市域を事例とした。首里は,近代を通じて人口が減少し,主力産業であった泡盛醸造業をはじめ産業の衰退がみられた。一方,地域住民は,東京や大阪といった日本国内に加え,台湾や満洲,中国,朝鮮,サイパン,ハワイ,アメリカ,ペルー,ブラジル,アルゼンチンといった海外を含む各地へ盛んに転出し,さまざまな事業に従事した。これらの不在者の中には,旧家の長男が多く含まれていた。その結果,昭和前期の首里は空家が増加し,首里市役所内に公設質舗と職業紹介所が開設された。一方,大正後期以降,首里城の保存事業が展開し,首里市図書館等が開設され,文教都市化が進展した。首里の文教都市化には,不在者によるさまざまな関与がみられた。まず,卒業生の多くが首里および周辺地域出身者である第一中学校(現,首里高校)および第二小学校(現,城西小学校)の創立記念事業に注目した。大正9(1920)年に行われた第一中学校創立40周年記念事業では,事業費の高額寄付者の1位は旧王家で東京に転出した尚家であり,2位以下は主に沖縄県に居住する会社重役や医師,議員といった地元有力者の比重が大きく,少数ではあるがアメリカ居住者からの寄付もみられた。昭和5(1930)年の第一中学校創立50周年記念事業では,1位は尚家と沖縄県出身・在住の弁護士であり,主に沖縄県に居住する地元有力者や東京等の会社重役の比重が大きかった。しかし,3位にはハワイの開業医やペルー居住者が登場し,中位以降もペルー居住者からの寄付が多くみられた。次に,昭和10(1935)年に行われた第二小学校創立50周年記念事業では,1位はアメリカ居住者,2位はフィリピンの拓殖会社支配人等であり,海外居住者が尚家や首里の地元有力者を上回る金額の寄付を行っていた。また,フィリピンやハワイ,ブラジル居住者が多数登場しており,ハワイ移民は校旗も寄贈していた。南洋居住者からは,寄付金とあわせてワニやトカゲの標本の寄贈がみられた。続いて,昭和11(1936)年に開館した首里市図書館の開設経緯に注目した。計画は明治末年に成立したが,建物に充てる予定であった首里城旧寝殿を尚家が由緒地として買収したため頓挫した。昭和初年に大典記念として再び事業化し,建物として首里城御番所を譲渡する予定となったが,芸術家鎌倉芳太郎等の提唱を契機とした首里城の保存運動に伴い首里城大修理が行われたため再び頓挫した。昭和11年,首里出身で那覇に居住する旧家が,図書館建設資金5,700円を寄付したことから三度事業化し,同年第二小学校敷地内に開館した。寄付や書籍の寄贈は首里に居住する地元有力者や教育関係者等が主に行ったが,尚家からの寄付はみられず書籍を59冊寄贈したのみであった。一方,ハワイ居住者から多くの寄付や書籍の寄贈がみられ,首里市図書館には布哇首里市人会文庫が開設された。このように,大正後期以降の首里では,尚家や首里に居住する地元有力者に代わり,那覇やハワイ,ペルーをはじめ首里出身で海外を含む各地に転出した不在者が高額な寄付や物品の寄贈を行い各種事業の成立に貢献することで,文教都市化に重要な役割を果たした。

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