抄録
1. はじめに
ザンビアでは,独立以降の市場経済化にともなって人びとの流動性が高まり,農村から都市への移動が増加した.構造調整プログラムが本格化すると,失業率の上昇や物価高といった都市の生活環境は悪化し,農村へと移動する都市居住者がみられるようになった.ザンビアでは,従来から親族やクラン,民族といった系譜でたどれるつながりを基本として村が形成されてきた.しかし人びとの流動性の高まりは,農村における民族構成にも影響を及ぼし,異なる民族が暮らす農村も多くみられるようになってきた(島田2007).本発表ではザンビア北西部の多民族農村を対象に,そこに暮らす人びとの移住経験をたどることで,多民族が混住する農村が形成されてきた背景を検討する.移住者を含めた人びとが現在,どのように生活を維持しているのかを検討するなかで,明らかになってきた民族間における人びとのつながりに,日常生活の視点から注目していく.
2. 調査地概要
調査地は,ザンビア北西部州に位置するS地区である.S地区はカオンデという民族の領域であるが,現在ではカオンデ以外にもルンダやルバレ,チョークウェ,ルチャジという民族が居住している.ザンビア北西部に最初に居住しはじめたのはカオンデといわれ,19世紀末までに現在のコンゴ民主共和国南部から,クランごとに分かれて移住してきた(Jaeger 1981).カオンデの人びとは5世帯ほどの小さな自然村を形成し,村より上位の行政区分として約20か村がまとまった地区を形成している.
3. S地区にみられる移住形態
カオンデ以外の民族の人びとは1970年以降に,民族間の近接性や言語の類縁性の高さ,カオンデ社会が分節的であることから受け入れられ,ほかの農村や都市から移住してきたと考えられる.とくに都市から移住してきた人びとのなかには,親族や民族といった系譜でたどれるつながりではなく,都市における友人や隣人のような個人間のつながりをたよって移住してきた人も多い.
4. 生業活動とキャッサバのやり取り
S地区に暮らす人びとは,農耕を営んでいる.焼畑であるキャッサバ畑やモロコシ畑,化学肥料を用いた常畑のトウモロコシ畑を耕作している.人びとが栽培している主食作物の組み合わせは世帯によって異なり,モロコシを栽培する世帯はカオンデの世帯のみであった.一方でカオンデ以外のルンダやルバレ,チョークウェ,ルチャジの世帯は,キャッサバとトウモロコシを組み合わせて栽培していた.モロコシやトウモロコシを中心に栽培する世帯にとって,食料不足に陥る端境期に主食を確保することは課題である.キャッサバのイモは肥大すると畑に保存できるため,年間を通して収穫できる.そのためモロコシやトウモロコシの端境期には,キャッサバを利用することで主食を確保する.キャッサバを栽培していないカオンデの世帯では,カオンデ以外の世帯からキャッサバのイモの提供を受けることがある.このとき人びとは親族や民族のつながりだけではなく,友人や隣人のように居住地における個人間のつながりをたよってキャッサバを確保している.キャッサバが地域内でやり取りされることで,食料を確保しているのである.
5. まとめ
都市から農村への移住において利用されていた個人的なつながりは,農村生活を営むうえでも欠かせない.人びとは,みずからをとりまく環境の変化に柔軟に対応しながら生活する一方で,食料不足や病気といった困窮どきには,他者との紐帯によって対処する.S地区においては,系譜でたどることができる親族や民族のようなつながりだけではなく,友人や隣人といった個人的に築かれるつながりが,日常生活を維持していくうえで重要になっている.
参考文献
島田周平2007. 『アフリカ 可能性を生きる農民 環境―国家―村の比較生態研究』 京都大学学術出版会.Jaeger, D. 1981. Settlement Patterns and Rural Development: A Human Geographical Study of the Kaonde Kasempa District, Zambia. Royal Tropical Institute.