日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 422
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発表要旨
瀬戸内海沿岸の花崗岩石材産地と近代以降の石材産業
*乾 睦子
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抄録

瀬戸内海周辺には多くの花崗岩体が知られ、江戸時代以前から各地で石垣等に利用されてきた。明治期に西洋建築が導入されると、それらが継続的に採掘・加工・出荷されるようになり、近代産業として成立した。花崗岩は岩石の中でも固く耐久性が高いため、建造物の外装を中心に内装にも用いられた。第二次世界大戦後には戦没者慰霊碑や一般に墓石が普及し始め、建築石材に加えて墓石が石材産業の大きな柱になり、1960年代には機械化も進み日本の加工産業の一角をなす存在となった。しかし、その後資源の枯渇や環境規制、輸入品との価格競争があり現在は産地が減っている。明治期以降に産業として成立し、隆盛してから現状に至るまでの石材産業の経緯は、日本の一加工産業の歴史としても貴重な記録である。ところが、この石材産業に関しては資料等がほとんどなく、輸出入量推移など外側から全体像をつかむことしかできなかった。そこで本研究では、瀬戸内海を囲む各地に点在する稼働中の花崗岩石材産地のいくつかを訪問調査し、産地毎の生産活動の多様性を知ることによって、近代石材産業の歴史と現状の一端を明らかにしようとした。  本研究で訪問した主な花崗岩石材産地は、香川県小豆島町(小豆島石または小海石)、同高松市(庵治石)、岡山県岡山市(万成石)、笠岡市北木島(北木石)、愛媛県今治市大島(大島石)、広島県呉市倉橋島(議院石)、山口県周南市黒髪島(徳山石)である。これらの産地はまず、石質と用途の点から大きく二つの傾向に分けることができた。庵治石と大島石は当初から墓石材や工芸品として用いられてきた石の産地である。この二つの産地の花崗岩は中~細粒で肌理が細かく彫文字が映える質感で、現在は高級墓石材とされている。資源としてはキズが多く大材が取れないという特徴もあり、このために建築材料には向かなかったものと思われる。上記以外の産地は、当初は建築材料向けを比較的多く産出していた。いずれも結晶の粒径が比較的粗く、大材が採掘できる、あるいは同じ色目の材を大量に揃えられるという特徴が共通していた。現在は墓石を主としている産地と、そうでない産地とが見られた。  産地の多様性を作り出していた主な要因としては、(1)土地・権利の形態、(2)採掘と加工の関係、そして(3)立地の問題があった。(1)土地所有の形態としては、各事業者がそれぞれの権利の範囲を採掘する場合が大半であり、その場合は土地に制限された狭く深い採石場が並ぶ(大島・北木島)。しかし、大採石場に複数の事業者が入る事例(庵治石)もあり、その場合はより緊密な地域のコミュニティが成立しているようであった。(2)採掘と加工の関係では、加工事業者が多く定着しているかどうかが産地によって様々であった。加工業が定着している産地では、輸入石材の加工も取り扱いながら産地全体のブランド化を図る方策が見られた。一方の採掘を主とする産地では、国内企業が加工拠点を海外に移行する動きとともに出荷先の変更、小売への参入、多角化を図るケースがいくつか見られた。(3)立地の問題としては、瀬戸内海沿岸の産地はもともと海運を利用できることで発展してきたが、現在はほとんどがトラック輸送であるため、島という立地が不利に働き、本土に拠点を移すケースが見られた。反対に、市街地に近すぎる立地は、環境騒音問題のため採掘手段が制限されたり植樹等の努力が必要とされていた。  瀬戸内海沿岸地域に近接して立地する多くの花崗岩石材産地には、それぞれ特有の事情によって多様な産業形態が成立してきたことが分かった。本研究は、公益財団法人福武財団より瀬戸内海文化・研究活動支援助成を受けて実施することができた。

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© 2014 公益社団法人 日本地理学会
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