日本地理学会発表要旨集
2015年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P044
会議情報

発表要旨
羊毛製品の市場とその変化
東ネパールとカトマンズの事例から
*渡辺 和之
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

羊毛は、岩塩とならび、ヒマラヤ交易の重要な交易品だった。1960年以前、良質なチベット産の羊毛がネパール側にもたらされていた。1960年代以降、ヒマラヤ越えの塩交易は衰退し、カトマンズとチベットを結ぶ自動車道路が開通する。だが、チベット動乱以降、ネパール各地の難民キャンプでは、チベット絨毯を織るようになる。また、ネパール産の粗い羊毛にも洗うとフェルトになる特性がある。ネパールではこの特性をいかし、ラリという敷物を作ってきた。
発表ではヒマラヤ山脈の南北で生み出される羊毛を手がかりに、現代におけるヒマラヤ交易の位相を素描する。チベット絨毯とラリを対象に生産から流通に至るフローを調査し、どのような変化が現在起きているのかを把握することで、現代のヒマラヤ交易において異なる次元の市場がいかに共存するのか、その現状を明らかにする。調査は2011年8月より2014年2月まで、東ネパールのソルクンブー郡、オカルドゥンガ郡、首都カトマンズでおこなった。
チベット絨毯の生産事情について、東ネパールのソルクンブー郡にあるチベット難民のキャンプで調査をおこなった。ここでは1996年までキャンプ内の工場で絨毯を織っていた。その原料となる羊毛はチベットからカトマンズ経由、染料はスイスから運ばれてきたという。この工場はスイス政府が難民対策として作ったもので、原料はもとより、市場もスイス政府が開拓し、ヨーロッパ市場に輸出するシステムだった。
カトマンズで羊毛の流通経路の調査をした。現在、絨毯やセーターに用いる羊毛はチベット産のものとニュージーランド産のものが用いられている。質は後者の方がよく、値段も後者の方が高い。これらの羊毛は卸売商人が仕入れ、糸屋に売る。糸屋はこれをカーディング、糸紡ぎ、染色の工程に出し、糸を卸売する。そして、工場の経営者が糸を購入し、セーターや絨毯に加工する。工場の経営者には製品を輸出する人もいれば、店を構え、観光客に売る人もいる。
かつて絨毯やセーターを作る工場の経営者のほとんどがチベット人だったという。だが、1990年代頃からチベット人は経営から撤退し、現在ではネパール人の経営者が主力である。羊毛市場は1990年代以降低迷しており、特にこの数年の輸出量は激減している。ある経営者はEUのスタンダードに合格することが生き残る鍵とし、労働者の福利厚生なども改善している。また、パシュミナは羊毛よりはよいとして、観光客向けのショップも持つ人もいる。
ラリについては、オカルドゥンガ郡とカトマンズで調査をおこなった。オカルドゥンガ郡の村では、生産者の数はこの10年で激減したが、ラリに対する需要そのものはあるという。このため、原料である羊毛の入手が一番の問題になっている。また、カトマンズでは化学染料で染色したラリ(パキという)も作られており、都市住民の間でも根強い需要がある。
以上のように、2つの羊毛製品は生産や流通において異なる次元の市場を持つ。チベット絨毯に見るように、ローカルからグローバルへ市場の階梯が上がるにつれ、材料や技術が地元のものでなくなっている。ただし、担い手についてはチベット人が撤退したあとネパール人が経営の主体となり、在地化しつつある。また、グローバルに展開する製品だけが生き残るわけでない。ネパール産の羊毛を使ったラリやパキにも根強い需要がある。首都では技術革新が起きており、都市住民の需要に応える製品も作られている。

著者関連情報
© 2015 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top