抄録
社会主義体制移行前の都市内部には、中心業務地区、労働者階級の住宅地と、中上流階級の住宅地があった。社会主義体制に移行すると、政府によってすべての資産が没収され、都市の内部構造は大きく変わった。1990年にドイツが統一されると、東ドイツでは旧社会主義政府が没収した資産を、所有者および所有者の子孫に返還することとなった。資産の所有者とその子孫には、その地を離れている者も多く、外国へ移住した者も少なくなく、資産返還後には不在地主となった。そのなかには、資産を転売したり、修復して、より高い賃料収入を得ようとする者も多かった。ジェントリフィケーションは、旧社会主義都市の市街地のなかでも、社会主義への移行前の最もよい住宅地で起こった(Sýkora,2005)。 図1は、ベルリンにおける2005年から2012年までの2,600ユーロ以上の月収者の増減率を区別に示したものである。フリードリヒスハイン・クロイツベルク区では70%以上増加し、パンコー区、マルツァーン・ヘラースドルフ区において60%以上増加した。クロイツベルクは旧西ベルリン側にあり、1980年代より100件以上の不法占拠の建物について、現状の構造を保存し、人口の社会的構成を維持し、市民参加を推奨するという、注意深い更新が行われ、95件の建物が公共の支援により修復されてきた。2000年代後半には、長期の賃貸合意と新しい賃貸契約との差が生じるようになり、低所得の居住者と、家賃の増加を見込む所有者は対立し、それが立ち退きへの圧力を強めることとなった(Holm,2013)。 パンコー区南部のプレンツラウアーベルクには、19世紀末に建てられた歴史的建築物が多く、老朽化した建物の修復には補助があった。1990年代後半には改装される住宅の件数が多くなり、補助によらない、民間による改装の件数は増加した(Bernt and Holm,2005)。建物の更新が進められた地域では、元の住民の比率は25%に過ぎず、標準の所得は1993年にはベルリン全市の75%であったが、2007には全市の140%となった(Holm,2013)。1990年代から老朽化した建物の修復が進められてきたため、2000年代半ばにはジェントリフィケーションされる古い建物がなくなり、空閑地などの開発されていなかったところへ、贅沢なアパートが新築された。居住者層は35~45歳が多く、1~2人の子どものあるファミリー世帯である。彼らの職業は建築家、メディア・デザイナー、行政職員、経営コンサルタントなどであり、スーパージェントリフィケーションが確認された(Holm,2013)。 ベルリンでは、持ち家は少なく賃貸住宅が主であり、1990年代は家賃規制があり、2005年まで家賃は据え置かれた。2000年代後半になると、新たな賃貸契約により家賃は高騰してきた。旧東ベルリンでは、インナーシティにおける観光地化をはじめとしたリストラクチュアリングが進行し、ジェントリフィケーションへの対抗的機運が高まりつつある(池田,2014)。