日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: P920
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発表要旨
長野県飯山市福島地区における復田棚田の保全
*羽田 司松原 伽那
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抄録
1.研究の背景
 農業の多面的機能への注目により,1990年代より棚田の保全活動が活発化した.棚田の保全には,耕作労働力の確保と保全活動者の所得補償が重要であるとされる.既往研究では,棚田オーナー制度による労働力の補填や棚田米による所得の改善の実践例が,大規模な棚田を対象に数多く報告されている.しかし,棚田の大半は,規模が小さく,保全活動が低調な棚田である.特徴的な保全活動がみられる大規模な棚田ばかりでなく,小規模な棚田の維持の在り方を検討することは,棚田の保全を考える上で有意義であろう.他方,棚田が存在する山間部では,過疎化・高齢化が深刻となっている.棚田の保全においても高齢活動者が増加しており,継続的な棚田保全の課題として語られることが多い.
そこで本研究では,長野県飯山市福島地区を事例に,小規模な棚田が高齢の保全活動者によっていかに維持されているのかを明らかにする.その際,体力の低下から耕作が困難となる高齢者の活動意欲と,保全活動者への所得補償において不利と考えられる棚田の小規模性に着目した.
 2.研究対象地域
飯山市は長野県の北部に位置し,新潟県との県境にある.市内を南から北に千曲川が流れ,その沖積地では水田が卓越する.2013年の飯山市人口は22,252人であり,そのうち,高齢者割合は32.6%と全国のその割合よりも高い.福島地区は飯山市の東部に位置し,野沢温泉村と木島平村に隣接する.西向きの斜面の中腹に集落があり,福島地区は特定農山村地域の指定を受けている.2010年の地区人口は158人,農地面積は10.8ha,そのうち水田面積は8.3haである.本研究で対象とした棚田は,集落の上部に位置する約5haの農地(以下,福島棚田)である.
3.調査結果
福島地区では1950年代より条件不利な農地より荒廃が進行した.福島棚田周辺の水田は傾斜が急で不整形なため,漸次,耕作放棄が進み,1985年前後には集落近くの数筆を残すのみとなった.しかし,1998年に福島棚田保存会「棚田の里三部」(以下,保存会)が地区住民により発足すると,それを機に荒廃した水田の一部が農地として復元された.保存会では90aを水田として復元し,2000~2003年には補助事業を活用して,福島棚田周辺の農道や水環境,休憩施設を整備した.
土地利用調査を実施した2016年5月の時点では,福島棚田の総農地面積の25.8%が水田として利用される.残りの農地の大部分は畑(作付前後地を含む)として利用され,耕作放棄地は僅少である.畑は自家用野菜が栽培される場合もあるが,菜の花やソバが地元の耕作組合により生産される.中でも,ソバの耕作組合の組合員は保存会の会員を兼ねる場合が多い.保存会とソバの耕作組合で活動する者を保全活動者とすれば,11世帯の18人が該当した.大半の活動者は60歳以上の退職者や農外への再雇用者である.福島棚田での経済状況をみると,水田はコメ販売では生産経費を賄えていない.一方,ソバは生産物を加工したりしながら販売することでわずかだが利益を得ている.したがって,ソバによる収入を水田の保全経費に充当していた.とはいえ,保全活動者への労賃の支払いは無いに等しい状況である.
このように金銭的な動機付けがない中,棚田の保全活動が継続している.福島棚田では地元小学校による田植え・稲刈り体験が実施され,映画のロケ地となった経験から観光客が訪れる.こうした,地元住民以外のまなざしが高齢の保全活動者の活動意欲につながっており,高齢者であることが所得補償の必要性を低下させていた.また,福島棚田の一部に集積して水田を復元したことで,「美しい」景観を形成し観光客を誘引するとともに,生産経費と投下労働量を抑制している.そして,水田以外の農地で利益の見込めるソバを栽培することで保全に必要な経費を得ていた.
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© 2016 公益社団法人 日本地理学会
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