日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 914
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要旨
ウランバートルの都市化とゲル地区
*松宮 邑子
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抄録
1.はじめに
  モンゴル国の首都ウランバートルでは、近年顕著に人口および都市機能の一極集中が進んでいる。1990年に約56万人だった人口は2000年代に入り急速に増加し、2014年には130万人を超え、全国の人口約290万人の半数近くが居住している。市内の居住地区は中心部に位置する「アパート地区(байшин хорооллын)」とその周縁部に広がる「ゲル地区(гэр хорооллын)」に二分されるが、現在のウランバートルにおいて市街地の拡大はゲル地区の拡大を意味するといっても過言ではない(図)。ゲル地区では、居住者が自らの手で木等の柵で敷地を囲って無数の区画を形成し、元来遊牧生活に用いる移動式テント家屋のゲルや自作の固定家屋を区画内に設置して生活する。上下水道は未整備であるものの基本的な電化製品は備わっていることが多く、伝統的な住居を用いているのに対し生活様式はむしろ都市的である。ウランバートルの都市化について言及される際は、同時にこのゲル地区の拡大についても言及され、両者は切り離せない関係にある。

2.ゲル地区の拡大
  なぜこのように急速に市街地、つまりはゲル地区が拡大したのか。2000年と2010年の統計を比較すると、ウランバートル全人口に占める移住者の割合は35%(27万人)から51%(59万人)となっており、市人口は移住者によって増加していることがわかる。また人口構成比からは、移住者には若年層が目立つことが明らかだ。このように増加した市民は、どこに住まいを求めるのだろうか。2000年と2010年の市内住居別世帯統計では、ゲル地区に広がるゲル・固定家屋の居住世帯数がそれぞれ2.5倍、2倍に増えている。これに対してアパート居住者は1.5倍の増加にすぎない。つまり、10年間で増えた人口の住まいはほとんどがゲル地区に求められたのである。
  現在のウランバートルにおいて、アパートは大変高価な住居である。モンゴルでは賃貸や住宅ローンのシステムが未だ確立しておらず、低所得者にとってアパートへの入居は容易ではない。ウランバートルにおけるアパート供給は、第二次世界大戦後、ソビエト社会主義共和国連邦の指導下において「近代的」都市建設がはじまって以降、進められた。それ以前のウランバートルはゲル地区から成り、計画経済下のインフラ整備・アパート開発によって現在の市街地中心部からアパートへの建て替えが進んだ。しかし1990年の民主化以降は国主体のアパート供給が停滞し、民間会社による供給は数の不足かつ価格が高騰した。つまり、特に教育や就業機会を求めた移住者にとってアパート居住は極めて実現が困難な状況にある。こうした現状の中、既存のゲル地区の近隣に新たにゲルをたて区画を形成し、居住を開始する人が続出した。さらに2003年に施行された土地法によって、ゲル地区居住者が自らの敷地を私有地として申請し権利も持つことが可能になったことも、ゲル地区での居住拡大に拍車をかけた。社会主義時代にアパート開発を待ち残存していたゲル地区は、民主化以降、市民にとって不可欠な居住地としてさらに拡大したのである。
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