抄録
1.目的 珠江デルタは、改革開放政策の下で経済発展の中核的な地域の一つとなってきた。広州近郊に位置する2つの農村集落におけるフィールド調査に基づいて、経済発展の過程と現状、さらにそれがもたらす農村変化について、伝統文化の復興に焦点をあわせつつ考察することが、本報告の目的である。
2.フィールド フィールド調査は、2015年8月に広州市街地の南にひろがる番禺区の2つの農村集落(大嶺村と坑頭村)で、それぞれ4日間、景観観察と農家訪問を軸に行われた。調査に際しては、中山大学地理科学与規劃学院の劉雲剛教授の協力の下、大学院生の同行と補助を得た。記して謝意を表する。 2つの調査村落、大嶺村と坑頭村はいずれも広州市中心部から20kmあまりのところにある。衛星画像によってメソスケールの土地利用を概観すると、広州市街地との連担は観察されず、市橋を中心とする番禺区の都市化の文脈に位置づけられることがわかる。 大嶺村は石楼鎮に属し、丘陵である菩山を囲むように人口4917人(2010年人口センサス)が、西約・中約・上村・龍漖・社囲の5つの地区(「自然村」)に暮らす。集落形態は、華南農村に特徴的な集落の大規模性と凝集性を有している。村落の南部には工場が分布しており、人口のおよそ半分(2647人)は村外の戸籍をもち、いわゆる農民工などの外来の人々が、工場の宿舎や集落内の貸間に住む。 坑頭村は南村鎮に属し、緩やかな丘陵上に立地する巨大な集村と、すこし離れたところにある白崗・白水坑の2集落からなる。人口(2010年)は6417人で、このうち2680人が村外に戸籍を登録する者である。集落の西と東には工場地区が形成されており、その従業員が集落内部に建設された「握手楼」と呼ばれる中層建築の住宅に多く住んでいる。この景観観察を裏付けるように、上記の人口センサスに補足されていない労働者を含めると、流動人口は1万人を越えると推計されている。大嶺村よりも工業化、集落景観の改変が進んでおり、農民一人あたり収入も18,041元(2012年)と、大嶺村の10,316元を大きく上回っている。
5.考察 広州近郊農村における産業化の進展と伝統文化の復興を因果的に結びつける推論は、本報告の意図するところではない。番禺農村を対象としたすぐれた文化研究において、国家に由来する農村政治の文脈が強調されるように(川口幸大2013)、むしろ、経済と文化の位相における2つの事象の同時代性を、場所における共存関係の中に読み解くことの必要性と、そこから描き出される地域性について、さらに踏み込んで報告したい。
本報告は科学研究費補助金(課題番号:15H05169)の成果の一部である。