日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 704
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要旨
享和2年「摂河水損図」の出版過程
*島本 多敬
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抄録

近世の地図出版と記載された地理情報については,これまで地図の記載内容を中心に分析がなされてきた.しかし,近年,出版大坂図を対象に,地図規格と記載情報の関係(島本2013),板元の板株保有動向(小野田2015)などが検討され,板元の販売戦略とそれに基づく記載情報の編成のされ方が明らかになってきた.地図を通じた地理情報や知の流通において重要な役割を果たす板元の役割については,同時代的な背景を十分に踏まえつつ,さらに考究されるべき課題であろう.
そこで本報告では,同様の検討を大坂図以外にも広げ,享和2年(1802)7月の淀川水害後に出版された水害絵図を素材に,地図の書誌情報,板元の動向を分析し,同図の出版過程と社会的背景を考察することにしたい.

享和2年に刊行された水害絵図のうち,板元が明記されているものは2種類(A・B)が存在する. 両者は若干タイトルが異なるが,識語・図像表現はほぼ同様で,同一の板木を使用しているとみられる.両者を総称して「摂河水損図」としておきたい. Bには,一部地名と破堤距離の記載に埋木による訂正が見出せる.このことからAの後にBが出版されたとわかる.

大坂本屋仲間記録「出勤帳十九番」(大阪府立中之島図書館編1976)によれば,享和2年7月24日,書肆の播磨屋九兵衛(Bの板元の一人)が,自身の出版する河川図(二水合流図)・大坂図(大坂指掌図)と「差構」のため,他の板元の「摂河洪水図」の出版差し止めを本屋仲間に申し立て,これが認められた.また,同年8月24日には,塩屋平助(Bの板元の一人)が「素人板にて出来」の「摂河水損村々改正図」を譲り受け,自身での売り弘めを願い出た.この「素人板」は塩屋の元にわたり,「摂河洪水図」として9月13日に出版が許可されており.Bの図を指すものと考えられる.塩屋と,同じくBの板元の一人であった河内屋喜兵衛は,当時,河内国絵図などの刊行国絵図の板元でもあった.
Bの板元は,自身が保有する板株・出版物との関連から,他の水害絵図の出版を抑止し,あるいは自身の名前で「摂河水損図」の出版を行っていた.また,記載内容などから,19世紀初頭の当時,災害情報の速報性よりも正確性を求める需要を踏まえて,本屋仲間外の者による出版を差し止めさせつつ,同図が出版された可能性が考えられる.

このような板元の動向に注目して,地図出版のもつ同時代的な意義,近世における地理情報の出版・流通に関する問題を議論することとしたい.

文献
大阪府立中之島図書館編 1976. 大阪本屋仲間記録 第二巻.大阪府立中之島図書館

小野田一幸 2015. 近世大坂における地図刊行と大坂図の類板出入りをめぐって.小野田一幸・上杉和央編『近世刊行大坂図集成』創元社.26-37.

島本多敬 2013. 近世刊行大坂図の展開と小型図の位置付け.人文地理65(5): 1-20.

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© 2016 公益社団法人 日本地理学会
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