日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 808
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要旨
元寇沈船を覆う堆積層の特徴と堆積過程
*楮原 京子滝野 義幸
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抄録

I.はじめに
伊万里湾の鷹島沖合で,海底下に没していた元寇沈船が発見に至った経緯には,様々な模索があった.海底下に没している元寇関連遺物をどのように抽出するのかということに関して,本研究プロジェクトでは,物理学的手法と考古学的手法の融合を図ってきた.その過程で高分解能音波探査断面には,局所的な強反射体が捉えられるようになった.筆者らは,これらを「異常反射体」と称して,考古学的手法による発掘調査地点の選定に利用してきた.そして,こうした異常反射体がどのような堆積物に反応しているのかを明らかにするため,異常反射体付近や海底遺物付近の堆積物を採取し,観察と分析に基づいて堆積層の形成過程を考察した.
  堆積物の採取には直径8~10 cm,長さ1 mのアクリルパイプを用い,採取したコアは肉眼による観察の後,放射性炭素(14C)年代測定・粒度分析・花粉分析を行った.
 II.堆積層の特徴と堆積過程
調査海域の底質は,水深15 m前後と浅い地点では極細粒砂~細粒砂が多いのに対して,水深20 mを超える地点では粘土・シルト含有率が80 %近くに達する.また,海底地形は,水深15~20 mまで急勾配となっている状況から,本地域の晴天波浪限界も同深度にあると推定される.鷹島1号沈没船は水深23 mの海底下から発見されている.
  海底堆積物は海底下1 m付近までは,平均粒径や淘汰度が大きく変化しないものの,遺物近傍の堆積物は粗粒で淘汰の悪い堆積物となっていた.また,貝殻や植物片など,現地性・異地性の有機物が混合した状態で濃集する傾向があり,14C年代値についても,文永の役は1274年,弘安の役は1281年であるのに対して,遺物下位(深度90 cm)で採取された試料はAD. 550-646,上位(深度71 cm)で採取された試料もAD. 608-684と,年代値の逆転が生じていた.これらのことから元寇船沈没時には,海底付近に通常よりも大きな営力が働き,海底付近の堆積物が擾乱を受けて再移動・再堆積したとみられる.また,高分解能音波探査の異常反射体は,磚と呼ばれる煉瓦や貝殻が濃集する層の深度に一致しているようにみえる.
  調査海域における堆積速度を擾乱した地層の年代値を除外して見積もると,現在から6世紀頃までは概ね0.95 mm/yr,それ以前は概ね0.25 mm/yrとなる.堆積速度に変化がみられた6世紀頃は,日本各地で寺社仏閣の建造が始まり,建築用木材の需要が高まった時期である.鷹島の位置する伊万里湾沿岸地域や有田川流域なども例外ではなかったであろうと考えると,森林伐採による山地荒廃がもたらした土砂の流出増大が,堆積速度を増加させる要因の一つと考えられる.
  花粉分析の結果は,どの深度の試料も似た組成を示し,マツ属が高く,木本花粉全体の約80~90%を占めていた.マツ属の占める割合が高くなるのは,人間による植生干渉の影響の一つでもあり,九州北部においては約1500年前以後の堆積物にみられる特徴である(Hatanaka,1985).このことから,今回採取したコアは,概ね1500年前以後の堆積物であり,その間に大きな植物相の変化はみられなかったと言える.  以上のように,元寇船の沈没時とそれ以後では,沈船をとりまく堆積環境は大きく変化していないと判断されるが,粒度分析結果には,厚さ20~30cmで上方細粒化を示す部分も認められており,この堆積構造が暴浪の痕跡であるように思われる。
 III. まとめ
海底堆積層の調査から,元寇襲来の前後において極端な環境の変化が起きたことを示す証拠は得られなかった.元寇関連の遺物周辺の堆積層には,粒径や淘汰度の変化や貝殻濃集層の形成が認められ,元寇船沈没時の擾乱を記録していると考えられる.その後においては暴浪に伴う侵食・流動・運搬・浮遊・堆積によって,海底面付近の数10cmの堆積物は更新を繰り返しながら,全体としては,ゆっくりと堆積層厚を増大してきたとみられる.また,音波探査断面の異常反射体は磚の他にも,一部では貝殻濃集層に対応しているようであるが,まだ確証には至っていない.今後,音波探査と堆積物との対応を明確にするために,貝殻濃集層に注目してみたい.
  本研究はJSPS科研費23222002の助成を受けたものである.

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