日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 527
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要旨
オーストリア・チロル地方における観光の進展に伴うプルリアクティビティの変容
*山本 充
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抄録

日本の場合と同様、ヨーロッパの農村においても、農業に農外就業を組み合わせるプルリアクティビティが農家の家計維持の戦略として採用されてきた。そしてまた、EUの農村・地域政策において、こうしたプルリアクティビティは、とりわけ周辺農山村の景観や環境、そして地域社会の維持にとって必要な存在として認識され、保護の対象とされている。今日、周辺農山村における農外就業として重視されているのは、いうまでもなく農山村を基盤とした観光であり、こうした農村観光の量的拡大と質的変化が、観光を取り込むプルリアクティビティの態様、換言すれば、農業と観光の関係に影響を与えていると考えられる。 本報告は、観光が著しく進展し、かつ変容を遂げているオーストリア・チロル地方において、農業に観光を付加したプルリアクティビティが、近年の観光の動向とともにどのように変容してきたのか明らかにすることを目的とする。 第二次大戦後におけるチロル地方の観光化の著しい進展は1950年代に始まった。農家は、母屋の一部を客室として提供する部屋貸しタイプの農家民宿を始め、このタイプの民宿は1980年代初頭まで増加する。 チロル州農業統計によると、1986年時点で、農家世帯全収入のうち、農業からが58%、農外就業からが29%、公的補助が13%であった。農家世帯にとって農外就業の一つが観光業であり、観光資源の一部として農業活動や農産物があった。  1980年代における各地の観光パンフレットをみると、草地の中に建つ素朴なアルム小屋や牧野で働く老農夫、伝統的スタイルのリビングルームやシュペックといった郷土料理をのせた皿などを表す写真が多用され、「やさしい人々と古い習俗を知る」といったキャプションが付けられている。そこでは、昔ながらの山里チロルの「農」の風景が、来訪者を魅了する観光資源として認識され、強調されていたことがわかる。 2012年になると、農家世帯全収入のうち、農業からが48%、農外就業からが36%、公的補助が16%となり、1986年時点と比較して農業の比重が低下し、観光を始めとした農外就業の重要性が増加していることが明らかである。 1980年代初頭まで増加傾向にあった部屋貸しタイプのベッド数は、1980年代から一貫して減少し、代わってベットルームとリビング、ダイニングをセットとして提供するアパートメント・タイプのベッド数が大きく増加してきた。 こうした変化は、農家の母屋とは別棟の宿泊施設の建設を伴っていた。各部屋にシャワー、トイレが完備され、かつ内外装とも豪華となり、宿泊施設の高機能化が進展した。新しい宿泊施設の建設は、アルム小屋のセカンドハウスへの転用とともに、ひなびた山里の風景から小ぎれいな建物が立つ集落景観へと変化させることにもなった。 これら独立した宿泊施設の建設、ひいては質の向上が図られた背景に公的なサポートがある。EU、政府の農村開発プログラムにおける助成対象として、農外就業を組み込むことによる農家の家計の多様化が掲げられており、観光の導入・強化が一つの選択肢として想定されてきた。また、チロル州政府は、州文化基金Landeskulturfondsを設けており、農家に対して、観光客向けを含む建物の増改築に低利融資を行っている。加えて、快適で質の高い施設を要求する消費者である観光客のニーズもあろう。 一方、地産地消の展開を図る試みが"Bewusst Tirol"として始められ、レストランなどにおいて地元の農産物を積極的に利用しようとしている。また、観光客向けの体験チーズ工場が開設されるなどもされている。かつてのように、農家で直に農産物を得、かつ農作業をするのではなく、そこでは間接的に「農」が体験がされる。  2015年現在における各地の観光パンフレットにおいて、背景に雄大なアルプスの山並みと草原が広がる点は、1980年代と異ならない。しかし、そこでは、登山やスキーのみならず多様な活動をしたり、快適で洗練された部屋やレストランで寛ぎ楽しむ老若男女の姿が示される。農業によって創り出された風景の中にありながら、農業を直に連想させるものは希薄である。 チロル地方では依然として、世帯を単位として農業に観光を組み入れたプルリアクティビティが行われているが、以上のように農業と観光の関係は変化し、観光における農業のもつ意義も変化した。一方で、チロル全体として、あるいは谷ごとに、農業と観光を組み合わせる「地域」のプルリアクティビティが進展しているとも理解できよう。 

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