抄録
地理学は「地域」を研究対象とする科学である。地域は地表空間の一部であるが、そこに人の手が加わることによって刻々とその態様を変えていく。都市地理学は都市という「地域」の変貌のメカニズムを明らかにすることを通じて、自然と人間にとってのより望ましい「まちづくり」に貢献しようという学問である。
四日市公害訴訟(1967/9.1~1972.7.24)が始まる約10年前の1958年9月、三重県と四日市市は、石油化学工業都市として変貌を遂げようとしていた「まちづくり」の指針を得るため、総合開発計画委員会を組織し「総合開発計画の構想」を策定した。委員には、鈴木雅次を委員長に、稲葉秀三、木内信蔵(東大・都市地理学)、佐藤弘(一橋大・経済地理学)、新海五郎、平貞蔵、高山英華、東畑四郎、平山章らの、当時第一線の学者が名を連ね、それぞれ現状の分析と今後の計画とを提案した。土地利用の項では、沿岸部は工業生産地帯、内陸部は住宅地帯と、帯状都市の形態を提案し、中間は生産緑地として両地帯の分断を図るなどとしている。これらの提案が忠実に実行されていたら、公害の程度が緩和されていた可能性は高い。また喘息患者の分布と大気の流れとから公害の発生メカニズムを実証した三重大学医学部吉田克巳教授の疫学的研究は、都市地域構造と深く関わる都市微気候学の分野でもある。