抄録
田園回帰 「田園回帰」という語彙が、多くの人の目に触れるようになったのは最近のことであり、農村に向かう人びとの流れに注目する点は共有されているが、その意味内容は文脈によって異なる。農村ではなく田園という表現が用いられ、復活を想起させる言葉が続くこと、そこには何らかの価値を創出しようとする意志がこめられている。国土計画に田園回帰という語彙が取り入れられたことは、その意味で自然なことと言えよう。 本シンポジウムの前半部は、田園回帰を提唱してきた研究者・実務者に登壇いただき、その実践および実態の報告をうけ、田園回帰にかかわる共通認識を探ってゆく。地理学理論 田園回帰については、すでに8冊の叢書『シリーズ田園回帰』(農山漁村文化協会2015~2017)が刊行され、他学会では専題のシンポジウムが開催され、地理学においても複数の論考が発表されている。農村地理学の研究者には実践に携わる者が、実証研究に軸足を置く日本の地理学としては比較的多いが、本シンポジウムの中盤では、反都市化、農村の商品化、高齢社会に関する地理学における研究蓄積から田園回帰を論じることで、実証と実践を架橋するための基盤となる理論的な検討を行ってゆく。歴史性 「帰りなんいざ、田園まさに荒れんとす」中国中世の詩に詠われたように、農村は常に帰るべき場所でもあった。20世紀に散発した反近代としてのユートピア共同体の構想と実践も、農村が舞台となった。一方、高度経済成長による過疎の発生は、補助金の対象として農村が措定されることに帰結した。バブル期のリゾート開発というエピソードをはさみ、世紀末には団塊の世代の退職にともなって定年帰農が関心をもたれ、同時に20世紀後半の農村を支えてきたヒトケタ世代の退場が現実化した。田園回帰はこうした歴史の流れにいかに位置付けられるものであるのか、あるいは新たな転回の兆しであるのか、シンポジウムの後半では、結論を急ぐことなく議論してゆきたい。地域性 農村に向かう人びとの流れは、多様である。日帰りの農村観光からUJIターンとしての移住まで、地理学はその実態を捉えようとしてきた。それらが明らかにしてきたことの一つは、農村の多様性である。中間層がアメニティを志向して農村に移住することは、日本ではほとんどみられなかったとされるが、通勤兼業は農村における就業の主体であり、都市による農村編成は距離の関数として観察されるものである。また東日本と西日本、あるいは外帯と内帯の過疎の様態の相違は、社会構造や自然環境と結びつけて説明されてきた。地方への移住をサポートするふるさと回帰支援センター(東京)が公表している移住先の志向の変遷には、2011年の原発事故の影響に加えて、地域イメージの介在をそこに見出すことも可能であろう。シンポジウムの後半では、田園回帰の地域性にも注目して、その性格を議論してゆきたい。3つの観点 さきに言及した叢書で、田園回帰を考察する観点として、人口移動、地域づくり、都市農村関係の3つが提示されている。人口移動については、2000年と2010年の国勢調査の個票データを用いた分析が、「田園回帰に関する調査研究中間報告書」(総務省2017)として公表されており、都市部から過疎地域へ移動する30代女性が増えていることが指摘されている。集計レベルの実証研究は、作野広和(2016)が指摘するように、データ収集を含めた取り組みが求められる段階にある。一方、実践の次元である地域づくりの観点からは、田園回帰に関する多くの先進事例が報告されてきた。過疎地域でも毎年、総人口の1%程度の定住増加があれば、人口が安定するという目標値も提示されている(藤山浩2015)。農村開発の現場においては、個別具体的な世帯・個人レベルで田園回帰と向きあう必要と意義が、明らかになってきていると言えよう。そして第3の都市農村関係は計画論としての志向をもつ観点であるが、地理的関係として田園回帰を議論することは、理論的志向をもつシンポジウムの主部となることが期待される。20世紀には産業化によって引き起こされた農村変化が、生業としての農業と結びついた牧歌的な農村を瓦解させた。その中で永続的運動として意識下に置かれてきた都市への行進が、田園回帰の提示により、少なくとも考察対象となったともみなされる。すぐれて現在的な問題群、すなわち農村性がいかに構築されているのかをめぐる問い直しや、国全体として人口減少に進む社会において、今後、農山村をどのように位置付けてゆくべきか、政策論や計画論への地理学の寄与についても議論を行いたい。