日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: P010
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発表要旨
青森平野東部の浜堤列の形成年代 沢田遺跡におけるボーリングコアからの考察
*高橋 未央小野 映介木村 淳一
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キーワード: 浜堤列, 完新世, 青森平野
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抄録

1.はじめに
青森平野には,三内丸山遺跡,大矢沢遺跡といった縄文遺跡が多数立地しており,縄文遺跡周辺の地形環境は,狩猟採集を中心として暮らす縄文人にとって非常に重要なものであったことからも,生活の場としての平野がどのように形成されていたのかを明らかにする必要がある.青森平野の古環境復元については久保ほか(2006)により明らかにされているが,海岸部に発達する浜堤列の形成過程などの詳細な地形発達については不明な点もあると思われる.本研究では,青森平野の海側に位置する浜堤列上の沢田遺跡(平安時代)において,オールコアボーリングを実施し,得られたコア試料をもとに,層相観察,年代測定,粒度分析,珪藻分析を行った結果について報告する.
2.地形概観
青森平野には,海岸部に数列の浜堤列が発達しており,内陸側には中小河川による自然堤防の発達と低湿地が広がっている(久保ほか,2006).浜堤列は,平野の西部および東部では比較的に明瞭に確認できるが,平野中央部でやや不明瞭となる.これは,青森平野西部に南北方向にはしる入内断層の影響によるものと考えられている.
3.ボーリングコアの分析結果
オールコアボーリングは,沢田遺跡地内(標高2.5m,掘削深度16m)において実施された.このボーリング地点は第Ⅱ浜堤列に相当し,本地点よりも内陸側には第Ⅰ浜堤列が,沿岸部には第Ⅲ浜堤列が確認される.本研究により得られたボーリングコア(以下SWDコア)の層相は全体的に砂質であり,軽石がところどころに混在する浜堤列および砂州の構成層であると判断される.下位から軽石を主体とする砂礫層,軽石が混じるシルト層,木片や炭化した有機物が集積するシルト~細粒砂層,中粒砂層へと大別され,上方粗粒化している.最上部では(標高-2.0m付近),干潟環境を示すフレーザー層理も確認される.標高-10.8m,-5.1mには,海水性の二枚貝も産出している.珪藻分析によれば,SWDコアは,化石珪藻が含まれる層準が少ない傾向がみられる.珪藻が連続的に観察された標高-10m~-6m付近において,海水生種の珪藻(Chaetoceros spp.)が優占するが,淡水生種の珪藻(Eunotia spp.)も数10%近く産出していることから,海水と淡水が流入し,珪藻が静かに堆積するような水環境が一時的に生じていたことが推測される.コア中の貝殻および木片のAMS14C年代測定を行った結果,下位から9000-8720 cal BP(標高-14.82m),3550-3400 cal BP(-10.80m),2980-2870 cal BP(-7.80m),2970-2870 cal BP(-6.30m),2740-2700 cal BP(-1.15m),2130-2000 cal BP(標高0.17m)が得られた.このように本ボーリング地点においては,完新世はじめの堆積物の上を3500 cal BP以降の砂層が被覆している.おそらく第Ⅱ浜堤の構成層の堆積は約3000 cal BP以降であり,その形成は約2000 cal BP頃まで継続していた可能性が高い.松本(1984)は,平野西部における2列の浜堤列の発達過程について明らかにしており,内陸側から第Ⅰ,第Ⅱ浜堤列と分類している.この浜堤列の形成年代は,後背湿地における泥炭の年代から,約5,000年前,約2,500年前であると考えられている.本調査地域の第Ⅱ浜堤の形成年代も西部の形成年代と調和的であるといえる.一方,筆者らは平野東部の第Ⅰ浜堤列に相当するボーリングコアの年代測定も実施しており,標高-10m付近で3730-3640 cal BPを得ている.このコアの採取地点がSWDコアよりも内陸に位置する第Ⅰ浜堤列であるにもかかわらず,SWDコアとほぼ同層準で,同じ年代値を示し,松本(1984)が示した第Ⅰ浜堤列の形成年代とは明らかに異なっている.今後,さらなる資料の蓄積が必要になるが,青森平野西部と東部における浜堤列の形成過程は異なり,平野東部の形成年代が新しくなる可能性も指摘できるであろう. 
引用文献久保ほか(2006)植生史研究特別第2号.7-17.松本(1984)地理学評論. 57(10), 720-738.

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