抄録
1.研究の背景
現代の食の世界は,工業化やグローバル化を背景として,より一層多様な生産空間から構成されるようになっている(=食の世界の異質化).このような中,近年は屋内型生産施設のような超集約的な食料の生産空間が出現し,社会的にも政策的にも注目を集めるようになっている.超集約的な食料生産空間では,生産のあらゆる局面に科学技術が取り込まれ,人間,科学技術,自然物が複雑な関係を構築している.ここで本研究が注目したいのは,「人間,科学技術,自然物が互いに絡み合う中で,人間の食料生産に関わる実践がいかに導き出されて,具体的な生産の空間が編み出されていくのか」という点である.このような食料生産空間の生成をめぐる疑問を明らかにすることは,食の世界における異質化メカニズムを理解するための一助となろう.
2.研究の視点と目的
では,実際に食料生産空間の生成をどのように解釈したらよいだろうか.ここで重要な示唆を与えてくれるのが,科学技術社会論(STS)に端を発し,1990年代以降の「食料の地理学」(とりわけ,ジョナサン・マードックらのフードネットワーク研究)にも影響を与えたアクターネットワーク理論(Actor Network Theory, ANT)の存在論的な立場であろう.ANTにおいては,世界は行為遂行的なものとして捉えられる.すなわち,単一的な所与の現実ではなく,何らかの実践を通じて形作られる多様なものとして描かれる(Mol 1999; 2002).また,そのような実践を可能とする人間の行為主体性は,人間と非―人間の結びつきから生じる分散的な効果として捉えられる(Bosco 2015; Muller 2015; Muller and Schurr 2016).つまり,それは脱中心化されたものであり,人間などの特定のアクターに内在するものではない(Whatmore 1999).ANTは,社会―物質的なものの重要性を強調し,人間の実践がいかに人間的要素と非―人間的要素から組み立てられていくのかに関心を寄せる.
このようなANTの立場からすると,食料の生産空間は,異種混交(すなわち,人間と非―人間)のネットワークに位置する諸アクターの間で紡がれていく関係的達成であり,その形態はネットワークそのものの形態により特徴づけられることとなる(Whatmore 1998; Murdoch 2006; Watts and Scales 2015; 伊賀 2017).したがって,食料生産空間の生成を理解するためには,人間と非―人間がネットワークへと動員される過程に着目しつつ,その各局面で生じる人間の行為主体性がいかに生産空間の生成と関わっているのかを問う必要がある.食料の生産に関わる人間を孤立的に捉えるのではなく,非―人間を含めた他アクターとの関係の中で捉えることが重要となる.
以上を踏まえ本研究では,ネットワークにおける人間と非―人間の関係に着目しながら,集約的な食料生産の空間が生成されるメカニズムを検討する.その際,食料生産に関わる諸アクターが動員されネットワークが安定化していく過程と,その過程を通じて生み出されていく人間アクターの行為主体性を重点的に考察することにしたい.
3.研究の対象
超集約的な食料生産の空間の例として取り上げるのは,新潟県妙高市に位置する屋内型エビ生産システム(Indoor Shrimp Production System, ISPS)である.ISPSは,屋内の閉鎖型施設でエビを高密度に生産する陸上養殖のシステムである(ワイルダー・野原 2017).2000年代初頭に,陸上養殖プラント製造企業I社(東京都)が国際農林水産業研究センター(JIRCAS),水産総合研究センター養殖研究所(現 水産研究・教育機構)らと共同開発(産官連携の開発プロジェクト)に取り組み,2007年4月から同システムを用いたエビ生産を開始した.現在は,妙高市のプラントに加えモンゴルでもISPSが運用されている.また,近年のアジア地域におけるエビの病気の流行を背景として,ISPSの導入を検討している地域も増えつつある.
ISPSの開発には,東南アジアにおける従来型のエビ生産システム(とりわけ,集約型の生産システム)の存在が大きく関わっている.そこで本研究では,まずインドネシア(東ジャワ州,南スラウェシ州,アチェ州,ジョグジャカルタ特別州)における従来型のエビ生産システムとの比較を通じて,ISPSの構造的な特質を明らかにする.次いで,ISPSが生み出されたプロセスを,その開発・運用に関わる人間と非―人間(技術,機械,自然物)のネットワークに着目しながら考察する.これらの作業を通じて超集約的な食料の生産空間が生み出されるメカニズムについて考えたい.