日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P205
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発表要旨
荒川上流域における最終氷期以降の支流の河床勾配および本流への土砂供給様式の変化
*高橋 尚志須貝 俊彦
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抄録

長期的な山地からの土砂流出過程を解明するためには,河川上流域における様々な地形形成プロセスの相互作用,およびこれらの気候変動に対する応答性を評価する必要がある.本―支流合流点付近の地形発達過程を復元することで,支流から本流への土砂供給様式とその時間的変化を議論することが可能である.Takahashi and Sugai (in press)は,多摩川上流域の本―支流合流点付近の地形発達史を復元し,最終氷期の本流の河床上昇によって,合流点の高度が上昇したことで,一部の支流が土石流渓流から掃流支流(島津, 1990)へと変化したことを指摘した.これは,間氷期と比較して氷期には山地流域全体で土石流による本流への土砂供給が相対的に不活発になった可能性を示唆する.今後,気候変動に伴う本流の河床上昇・低下に対して,様々な勾配をもつ支流がどのように応答して河床勾配や土砂供給様式を変化させたのかを検討し,山地からの土砂流出過程を一般化する必要がある.本報告では,堆積段丘の発達する関東地方,荒川上流域(秩父盆地とそれより上流域)を対象に,河成段丘面の地形計測,支流の集水域の地形解析,ならびに段丘堆積物の露頭観察を行い,最終氷期以降の支流の河床勾配変化および荒川本流への土砂供給様式の変化について議論する.
荒川は関東山地に端を発し,秩父盆地,狭窄部を経て,関東平野へと流出する.本報告では,荒川上流域のうち,三峰口より上流を「源流域」,三峰口~皆野区間を「秩父盆地」と定義する.源流域は秩父帯・四万十帯の付加体堆積岩類が,秩父盆地は第三紀の堆積岩類が基盤を構成する.荒川流域には,後期更新世の河成段丘面群が顕著に発達し,特に秩父盆地には,最終氷期の堆積段丘面である影森面と,晩氷期頃の侵食段丘面の大野原面が発達する(吉永・宮寺,1986).影森面は,支流性堆積物と一部指交する20~30 mの厚い砂礫層から構成される.秩父盆地最上流部の三峰口付近で影森面は大野原面へ収斂し,源流域には大野原面のみが分布する.
秩父盆地では,集水域起伏比600~50‰程度,現河床勾配500~10‰程度の支流が合流する.秩父盆地最上流部の三峰口付近では,厚さ30 m以上の影森面構成層が観察される.三峰口左岸では,小支流が約120‰程度で合流する.この小支流の合流点付近の影森面は支流流下方向に約50‰で傾下する.影森面構成層最上部7 mは,最大礫径15 cm程度の支流性角礫層から構成される.
源流域では,集水域起伏比960~200‰,河床勾配800~20‰程度の支流が合流する.大野原面の背後は,緩斜面となっている.ただし,緩斜面の末端は大野原面形成時の河川の側方侵食によって小崖を成しており,大野原面にスムーズに連続してはいない.これらの緩斜面は支流性または斜面の角礫層から構成され,基質は明褐色ローム質土壌から成ることから,最終氷期の支流・斜面性の堆積地形であると考えられる.これらの緩斜面のうち,支流性と考えられる地形面は,現在の支流によって開析され,支流流下方向に300~100‰程度で傾下する.この勾配は最終氷期の支流の河床勾配を示すと考えられ,それぞれの支流現河床の勾配よりも概ね緩い.
秩父盆地最上流部の影森面構成層上部および源流域の緩斜面は,最終氷期に支流・斜面が形成したものと考えられる.最終氷期の荒川本流の河床上昇後,本流河谷内の支流合流点付近には支流・斜面の土砂が滞留し,これらの堆積地形が発達したと考えられる.また,これらの地形は晩氷期頃の本流の側方侵食によって段丘化し,滞留していた支流・斜面の土砂が再移動した.支流・斜面の堆積物が,最終氷期に滞留し,晩氷期に再移動したことで,それぞれの時期の本流の流量に見合った量の土砂が本流に取り込まれ,本流の平衡状態が継続し,影森面および大野原面が形成されたものと推測される.
荒川源流域および秩父盆地最上流域における,最終氷期の支流河床勾配は現在のそれよりも小さい.このことは,現在と比較して最終氷期には,支流合流点の高度がより高い位置にあり,支流の河床勾配が小さかったことを示す.最終間氷期に現在と同様の深い河谷が形成されていたとするならば,最終氷期の本流の河床上昇によって,支流合流点高度が上昇し,支流の河床勾配が減少したと推測される.源流域の支流は,最終氷期中も土石流停止勾配以上の勾配を保ったことにより,本流へと土石流によって土砂を運搬することが可能であった.一方で,秩父盆地の一部の支流は,最終氷期に土石流停止勾配を下回り,間氷期と比較して土石流による本流への土砂供給が不活発であったと考えられる.これは,秩父盆地の支流の多くが,源流域の支流と比較して集水域起伏比が小さいこと,ならびに集水域の基盤が第三紀層によって構成されることによるものと考えられる.

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