日本地理学会発表要旨集
2019年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S207
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発表要旨
歴史資料にみる1961年長岡地震の災害状況
*中村 元
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抄録

はじめに

 2004年10月23日に発生した中越地震では、新潟県の旧川口町や旧山古志村(どちらも現在は長岡市)などの中山間地域で震度7から震度6強などの大きな揺れが観測された。この地域は、日本有数の豪雪地帯としても知られる地域であり、地震発生時期が冬季であった場合には、地震と豪雪の複合災害となった可能性も想定される。以上の点をふまえ、新潟県の歴史地震を振り返ると、1961年2月2日未明に発生した長岡地震が注目される。長岡地震は、長岡市西部を震源とする地震で、最大震度6を記録し、死者5名、重軽傷者30名、全壊戸数220戸を含めた建物被害は1571戸を数えた(新潟県(1961))。歴史学における災害史研究では、この地震が豪雪との複合災害であったことが既に指摘されており(矢田(2016))、近年その地震発生時の行政の対応を示す歴史資料も見出され、分析に着手がなされつつある(中村(2019))。本報告では、以上の歴史学における災害史研究の動向をふまえ、1961年の長岡地震に関する歴史資料を検討し、そこから得られる知見を紹介した上で、この知見を今後の災害対応等で活用する方策を展望する。

 歴史公文書にみる1961年長岡地震

近年、歴史学における災害史研究では、「防災史」という新領域を展望しつつ、①平時、②災害発生、③応急対応、④復興、⑤災害対策、⑥災害を経験した新たな平時、という時間的なサイクルに注目して検討を行なうべきとの提起がなされている(吉田(2018))。この提起をふまえた場合、上記の一連のサイクルを連続的に分析し得る歴史資料は、③、④、⑤の過程で大きな役割を果たす行政が作成する公文書ということになろう。長岡市では、保存期間を過ぎた公文書のうち歴史的価値を有するものを「歴史的資料」として選定し、長岡市立中央図書館文書資料室(以下、文書資料室)で歴史公文書として管理している。その中には、1960年代に長岡市周辺で発生した自然災害に関連する歴史資料も含まれている(矢田(2019))。このうちの写真帳『災害記録 長岡市』に収録された長岡地震の被災状況に関する写真からは、長岡地震が豪雪と地震による複合災害であったことが如実にうかがえる。また長岡地震時の長岡市の対応に関する文書を綴った『災害記録綴(長岡地震)』に含まれた、「長岡市地震災害救助実施要項 昭和36.2.2」という文書では、全壊世帯については応急仮設住宅の必要があるが、「現在の豪雪のため設置してもまた倒壊のおそれもあるので雪どけを待って着工しなければならない」との記述があり、応急対応も豪雪によって制約を受けたことがうかがえる。報告ではその他、この『災害記録綴(長岡地震)』から浮かび上がる長岡地震時の状況についても紹介したい。

 小学校文集にみる1961年長岡地震

 以上の歴史公文書から確認される長岡地震の被害状況や行政の対応は、この災害で被災した人々自身にはどのように捉えられていたのか。この点については、地震被害の大きかった地域に所在した長岡市立王寺川小学校の5年生の児童28名の作文を集めた文集が作成されており、中越地震をきっかけに文集を作成した当時の担任の谷芳夫氏が、2009年に文集を再刊している(長岡新聞(2009))。報告では、この文集を手がかりに、当時の児童の災害認識を検討し、先に見た歴史公文書から確認される長岡地震の状況と合わせ、歴史学の見地からの災害史研究、歴史資料の内容分析とその知見の今後の災害対応等での活用について考える。

(新潟県『長岡地震の状況』1961年/『長岡新聞』4713号 2009年12月1日/矢田俊文「新潟県中越地域の歴史地震と災害」(矢田俊文・長岡市立中央図書館文書資料室編『新潟県中越地震・東日本大震災と災害史研究・史料保存』新潟大学災害・復興科学研究所被災者支援研究グループ、2016年)/「吉田律人「災害と歴史学―「防災史」研究の視座」(『史学雑誌』127編第6号、2018年)/中村元「現代災害史研究と公文書―長岡市の事例から考える」(矢田俊文・長岡市立中央図書館文書資料室編『現代災害史研究と史料保存』新潟大学人文学部附置地域文化連携センター、2019年)。

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