日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: P169
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発表要旨
高校地理教科書における「人種」の記述に関する一考察
*伊藤 千尋
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キーワード: 「人種」, 地理教育, 差別
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抄録

1 はじめに

地理教育の目的のひとつに、異なる文化・社会の学習を通じて世界の多様性を理解することが挙げられる。特に、2022年度から必修化される「地理総合」においては、「国際理解と国際協力」が大項目のひとつとなっており、知識・技能のみならず、グローバルな視点で国内外の諸現象を捉える思考力・想像力を養成することがますます求められている。

本発表では、高校地理教科書における「人種」の記述に注目する。「人種」は、学習指導要領には記載されていないが、アフリカや南北アメリカをはじめとした諸地域の成り立ちや特徴を理解するうえで欠かせない概念であり、避けて通ることはできない。

高校地理教科書における「人種」の記述については、これまでにも香原(1996)や竹沢(1999; 2014)らにより、その問題性が指摘されてきたが、近年の教科書を網羅的に分析したものはみられない。また、上記の研究は人類学者によって行われたものであり、地理学内部からの批判的検討や提言はほとんどなされていない。

「人種」概念に対する誤った認識は、世界で生じている諸問題の理解を矮小化し、差別・偏見を助長する土壌にもなりかねない。そこで本発表では、現行の高校地理教科書における「人種」の記述を分析し、その問題点を検討する。これを通じて、差別・偏見を生まない、助長しない地理教育に貢献することを目指す。なお、本発表は各高校教員による個別の取り組みが存在していることを否定するものではなく、研究者、教科書出版社、高校教員が全体として認識を共有すべきであるとの考えに基づいている。

2「人種」の記述について

「人種」は、肌の色や目の色などの身体的特徴によってヒトを分類する考え方である。しかし今日の科学では、ヒトは生物学的に明確な境界線を持って区分されるものではないことが明らかにされており、「人種」は社会的につくられ、恣意的に用いられてきた概念であると考えるのが国際的な通説となっている。そのため、「人種」について記述する際には、その背景に言及することなく、「人種」があたかも実体として存在するかのように説明することは避けなければなない。

発表では、地理A・Bの教科書における「人種」の用法や文脈、注釈がつけられている場合の説明の仕方、を提示する。その上で、教科書という限られた紙面のなかで、生徒にどのように「人種」概念を説明し、何を伝えていくべきか、について検討したい。

また「人種」に関連する用語として、「黒人」「白人」についても分析する。現行の教科書において、「黒人」の使用は避けられており、「アフリカ系アメリカ人」に言い換えられている。他方、「白人」については本文中に多く使用されている。昨今では、Black Lives Matter運動が社会現象となっているアメリカにおいて、主要メディアが当事者のアイデンティに敬意を表す等の文脈で「black」のBを大文字にして表記する動きが広がっている。発表では、これらの動向や関連研究をふまえ、教科書における記述を検討する。

報告者の経験では、多くの大学生は「人種」を実体として捉えている傾向があり、その概念が形成されてきた歴史的背景や概念が内包する価値観について理解していないことが多い。竹沢(1999)が大学生に対して行った調査では、このような「人種」観は中学・高校の教育やメディアの影響を受けている。大学に入学し様々な学問分野に触れたり、自ら関心を持って情報を取り入れたりすれば、その知識を更新することができるが、それが可能な人は限られている。そのため、説明が多少煩雑になったとしても、すべての高校生が学ぶ「地理総合」の教科書は「人種」を適切に説明し、多様性への理解を促す必要があると考える。

香原志勢. 1996. 「人種の記述について」青柳真智子編『中学・高校教育と文化人類学』pp. 10-26, 大明堂.

竹沢泰子. 1999.「人種」: 生物学的概念から排他的世界観へ. 民族學研究, 63(4), 430-450.

竹沢泰子. 2014. 創られた「人種」. 学術の動向, 19(7), 80-82.

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