主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2020年度日本地理学会春季学術大会
開催日: 2020/03/27 - 2020/03/29
1.明治初期における銀座地域の変化
明治政府は,明治2(1869)年4月29日に近代東京の最初の町界・町名整理,および身分別の武家屋敷と一般の町の土地域分を整理した.ここで銀座地域に大きな景観の変化をもたらす契機になったのが,明治2(1869)年12月28日の「京橋大火」と明治5(1872)年1月14日の「京橋日吉町火事」,および明治5(1872)年2月26日の「銀座の火事」,さらに明治6(1873)年2月21日「南佐柄木町火事」であった.明治政府は日本が西洋列強国のように近代国家になるため,都市建設の政策として西洋文明を入れることが急務であったと考えた.すなわち,明治政府は,都市の外観を変えることができる地域を必要としていた.明治5(1872)年,東京府知事であった由利公正は,封建的都市からヨーロッパ風の都市,とりわけ不燃都市の改造計画を立案し,新しい都市を建設する計画および政策を地域全体で実現できる最適な場所として銀座が選定された.
2.明治後期の銀座地域における土地所有者の動向
東京市区調査会が発行した明治45年の『東京市及接続郡部地籍台帳』は,地番や土地の等級,坪敷,地価,所有者の氏名と所有者の住所が分かる.東京銀座の土地所有の動向については,各町名別の一筆ごとの土地等級と土地所有者を調べた(図1).その結果,明治45(1912)年の銀座全体の平均土地等級は96.8等級で,銀座のなかで等級が最も高くなっているのは尾張町2丁目で,その等級は113.6であった.次に尾張町1丁目の112.5等級であり,一番低いものが西紺屋町の85.3等級であった.次に地籍台帳に記載されている土地所有者の居住地が銀座出身か,それとも他の地域の出身か,会社となっているかを調べ示したものが図1である.これによれば,銀座地域の土地は672筆となっており,銀座地域に居住している土地所有者は672筆のうちに340筆(50.6%)を,居住地が銀座地域ではない土地所有者は287筆(42.7%)を,会社は45筆の土地(6.7%)をもっていた.