日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 803
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発表要旨
日本統治期の澎湖島の植生史論争にみる科学的林業と植民地的環境主義
*米家 泰作
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抄録

1.問題の所在 近代の帝国主義のもとで展開した科学的林業と植民地的環境主義の関係をめぐって,近年,日本に注目が集まっている。報告者は,近代日本の林学と林政が,植生遷移の視点から,植民地の在来の林野利用を「荒廃」の要因と位置づけ,植民地政府による森林の保全や育成を図ったことを議論してきた(米家2019,米家・竹本2018,Komeie 2020)。本報告ではこうした関心から,日本統治期に造林が試みられた台湾海峡の澎湖島に注目し,「木が無い島」(図1)とされた同島の植生史をめぐる論争が,植民地の林政といかに関わったのかを議論する。

2.本多静六の人為的「荒廃」説 台湾併合の翌1896年,帝国大学の林学助教授・本多静六は台湾の植生調査を行い,気候に応じて形成されたはず森林植生が,住民とその生業によって「荒廃」したと想定した。樹林に乏しい澎湖島はその典型例とされ,本多は造林による森林回復の必要性を提言した。本多の想定は歴史学的な検討を欠いていたものの,台湾総督府で人類学と歴史学にたずさわった伊能嘉矩に継承された。伊能は,近世の中国人移民による森林伐採を示唆する史料を提示し,森林の人為的な消滅を論じた。

3.風害説と植民地林政の造林策 一方,台湾併合直前に澎湖島の植物調査を行った植物学者の田代安定は,台湾総督府で林政を担うことになり,軍港として位置づけられた同島の造林に取り組んだ。その意味で,澎湖島は初期の植民地林政の成否にかかわる焦点だったといえる。ただし,田代は無樹林の原因を強風と乾燥,およびそれまでの造林策の欠如に求めた。田代の考えのもと,殖産局は本多や伊能の人為的「荒廃」説を退け,保安林の設定に努めたが,造林策は成功するには至らなかった。

4.植生史論争のゆくえ 過去の樹林を想定する人為的「荒廃」説は,学知に基づいて植民地林政とその造林策を正当化するものであったが,澎湖島の造林に失敗しつづけた植民地林政としては,むしろ風害を強調することで批判をかわそうとしたようにみえる。過去(無樹林の要因)と現在(造林の困難)に向けられた二つの立場は,明確な決着がつかないまま融合して日本人の間で受け入れられ,ともに造林に取りくむ植民地林政を支える役割を果たした。

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