日本地理学会発表要旨集
2021年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 314
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発表要旨
沖縄と東京におけるアイヌの「記憶の場所」と先住民性
*桑林 賢治
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抄録

1.背景と目的 先住民を理解する上で,マジョリティの支配する空間からは区分された,土着性や歴史性を強調する空間との結びつきを維持していることが,しばしば先住民性(=先住民であることの特質)の基準の1つとみなされてきた.こうした理解においては,先住民の歴史的な居住地ではない空間,つまり非先住地は,先住民性を担保する空間とはなりにくい.この問題は,先住民の過去を顕彰するために構築された「記憶の場所」とも関わる.先住地に立地する先住民の「記憶の場所」は,先住民アイデンティティと強く結びつけられてきた(桑林 2021).しかし,先住民性と合致しづらい非先住地において先住民の「記憶の場所」が成立しうるのか,また成立するのはどのような場合なのかという問いは,必ずしも検討されていない.そこで,本報告ではアイヌが実施してきた沖縄・南北之塔での顕彰行為と東京・芝公園での顕彰行為(東京イチャルパ)を取り上げ,各々の開催地が非先住地に立地するアイヌの「記憶の場所」へと構築された過程とその意義を,先住民性と空間との関係に注目して予察する.

2.沖縄の事例 沖縄戦の慰霊碑として1966年に糸満市真栄平地区住民と同戦に従軍した北海道のアイヌによって建立された南北之塔では,1981年以降,北海道ウタリ協会が犠牲となったアイヌ兵士を供養する儀式を実施してきた.その間,1980年代以降,同塔の建立経緯を地域住民の営為よりもアイヌの関与に引き付けて語る言説が流布し,一部地域住民がそれに異議を唱えた.また,当地の歴史に関する説明からアイヌの関与が削除される事態が生じた.こうした背景には,「記憶の場所」が非先住地に立地していたことも関わっていると思われる.他方で,2000年頃からは当地で上述のものとは異なる供養の儀式を北海道のアイヌと沖縄住民が連帯して実施してきた.これはアイヌの先住民運動と連動しているとみられる.その意味で,当地はアイヌにとって純粋な慰霊空間たる「記憶の場所」から,先住民性を強調する「記憶の場所」へと再構築されたといえる.

3.東京の事例 2003年以降,港区の芝公園では,明治初頭に当地に存在した開拓使仮学校附属北海道土人教育所へ強制入所させられ死亡したアイヌなどを供養する儀式・東京イチャルパが,首都圏在住のアイヌによって開催されてきた.これを通じて当地は彼(女)らにとって,アイデンティティの拠り所たる「記憶の場所」へと構築された.また,主催者らが首都圏におけるアイヌの先住民運動に関わっていたことから,当地は先住民性と結びつく「記憶の場所」としても機能してきたとみられる.一方で,ここでは「記憶の場所」の維持に必要な文化の継承が問題となっていた.原因の1つに非先住地のアイヌへの文化的施策の乏しさがあると思われるが,それはアイヌの先住民性を北海道という先住地と結びつける見方と関わる.現在では連帯する非アイヌが文化継承において重要な役割を担っている.

4.非先住地の「記憶の場所」 両事例は,一方では非先住地に立地するがゆえの問題を抱えており,アイヌの先住民性を北海道と結びつける見方にも影響されていた.他方で,アイヌは非アイヌと連帯し,これらの問題に対処しながら,アイヌの先住民性を強調する「記憶の場所」を非先住地に構築してきたといえる.非先住地に立地するアイヌの「記憶の場所」は,近現代におけるアイヌの先住民性を,北海道というローカルな空間から解放し,ナショナル・スケールの事象として位置づけ直す可能性がある.

本研究はJSPS科研費JP21J13380の助成を受けた.

【文献】 桑林賢治 2021. 先住民アイヌによる「記憶の場所」の構築——北海道・真歌山におけるシャクシャインの顕彰を事例に. 人文地理 73: 5-30.

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