日本地理学会発表要旨集
2021年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 237
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発表要旨
広島県東広島市における道しるべの分布とその特徴
*岩佐 佳哉
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抄録

1.はじめに 道しるべとは、道案内を主目的とする「道標」とほかの目的で設置された石造物に道案内が刻まれた「道標銘」の総称である(吉村・白井 1991)。道しるべに関する調査や研究の多くは、歴史学・文化財学的な視点によるものが多い(出雲路 1976; 山本 1991など)。道しるべの多くは幕府や政府ではなく、地域住民によって設置されることから(山本 1991; 吉村・白井 1991; 矢野 2007)、設置当時の住民の空間認識を示す資料といえる。吉村・白井(1991)は地理学的な考察を加えることで近世の交通圏を復元し、都市の階層構造を明らかにした。

 本発表では、広島県東広島市を対象に、道しるべの分布とその特徴を明らかにする。

2.研究方法 まず、戦前に発行された旧版地形図に描かれている交差点を同定し、Googleストリートビューを用いて予察し、現地調査をした。現地では道しるべの位置をマッピングし、高さ・幅・奥行といった大きさや各面の方角を記載した。また、「デジタル拓本」を行うことで道しるべの銘文を記載した(図1)。具体的には、SfM-MVSの技術を用いて道しるべの3Dモデルを作成し、QGISを使用してレンダリングをすることで「デジタル拓本」を行った。これにより、非接触ながら明瞭に石造物の銘文を読み取ることができる(内山ほか 2014; 岩佐・熊原 2018)。さらに、道しるべから目的地までの直線距離を算出し、吉村・白井(1991)に基づいてその最大距離ごとに目的地を10km未満、10-20km、20km以上の3つに分類した。

3.道しるべの分布と特徴 対象地域では、少なくとも84基の道しるべが認められた(図2)。道しるべは主要な街道からの分岐点に設置されると考えられるが、旧山陽道(旧西国街道)沿いには2基しか分布しない。一方で、東広島市西条と呉市広を結ぶ旧往還沿いには多く分布する。

 設置年がわかる50基は1878(明治11)年から1934(昭和9)年の間に設置され、1915(大正4)年と1928(昭和3)年の御大典記念に設置されたものが多い。設置主体別では、住民団体が29基、個人が28基、行政が1基、商店が1基で、南部では住民団体による設置が多い。

4.道しるべからみた近代の都市の階層性 道しるべから目的地までの直線距離を算出すると、0-5kmのものが最も多く、30kmを超えるものはわずかしかない。その最大距離ごとにみると、10km未満の目的地はおおむね現在の大字に相当する。20km以上の目的地には広島や呉など現在でも大きな都市のほか、三原市に位置する久井や安芸高田市に位置する吉田などが含まれる。10km未満の目的地は、住民にとって身近で小規模な都市・集落であり、20km以上の目的地は広い範囲の道しるべに記されており、様々な地域の住民が認識するような大きな都市と考えられる。

文献:出雲路(1976)京都精華学園研究紀要 14; 28-49.岩佐・熊原(2018)広島大学総合博物館研究報告 10; 103-110.内山ほか(2014)防災科学技術研究所研究報告 81; 37-60.矢野(2007)和歌山地理 27: 1-24.山本(1991)国立歴史民俗博物館研究報告 32; 23-68.吉村・白井(1991)千葉県中央博物館研究報告 1 (3): 1-32.

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