日本地理学会発表要旨集
2021年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: S105
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発表要旨
「地図の力」と災害伝承
*後藤 秀昭
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抄録

1.災害伝承の難しさ  自然災害の発生は稀な現象であり,災害が多発する現代社会でも直接被災する人は限られている。また,同一地点での発生頻度は数世代よりも長いものが多く,災害にあった人々の経験を後生に正しく伝えることは容易でない。昨今,防災教育の普及と強化が叫ばれるのは,このような災害発生間隔の長さと,経験伝達の難しさが最も重要な背景のひとつと考えられる。過去の災害経験を防災教育に活かす上では,個別の災害の状況が具体的にわかる記録を残すことが重要であると考える。

2.繰り返される災害を読み解くために「古災害」の解明

 斜面崩壊や河川氾濫の歴史は一般に「災害史」と呼ばれ,取り扱われてきた。これまでに発生した災害を「古災害」と呼ぶことを提案したい(後藤ほか,2021)。昨日までの地震を「古地震」と呼ぶように,古地震を含め過去のすべての災禍を「古災害」(paleo-disaster)と呼んではどうだろうか。災害史を通史で理解する分野と明確に区分し,過去に発生した個々の災害に焦点を当てる用語として使用できればと考えている。南海トラフなどのプレート境界型断層や活断層から発生した過去の地震,すなわち古地震に関し,その時期やその様子が明らかにされ,それに基づいて将来の地震発生の予測がなされている。これと同様に,繰り返される土砂災害においても,これまでの斜面崩壊の履歴や復元の調査研究が今後の土砂災害予測において重要な意味を持つとされている(八反地,2018)。過去の斜面崩壊や河川氾濫,津波などを個別に識別するために,過去のすべての災禍,それぞれを古災害と呼ぶことを提案したい。

3.「古災害」を記録したディザスターマップの作成と意義

 近年の災害の場合,インターネットやデジタルカメラ,地理情報システム(GIS)などの電子機器やソフトの進化と普及により,災害発生直後の古災害の様子は,大量の写真で記録され,流通して見られるようになった。これらを容易に閲覧できる形で保存したり,地図化したりすることは今後の災害防止に向けた重要な取り組みと考えられる。激甚化した災害が多発する昨今の様子は報道等を通して見聞きするとはいえ,自分の生活圏で過去に発生した災害の様子をリアルに想像できる人は少ないと思われる。古災害の情報を整理し,地図という形で永続的に閲覧できるように記録することは同時代に生きた人間の地理学的,博物学的責務と考えることもできる(後藤ほか,2021)。

以上を踏まえ,古災害の様子を示した地図をディザスターマップと呼ぶことを提案した(後藤ほか,2021)。ハザードマップは将来発生しうる災害を予測した内容が記されているが,ディザスターマップは過去の災害(古災害)を記録した地図に対して用いることを意図した。浸水実績図や災害履歴図などと称される地図も含めてディザスターマップと呼べば,ハザードマップとディザスターマップがそれぞれ未来と過去を理解する地図として誤解なく理解できると考える。

4.地図の持つ力(西日本豪雨のディザスターマップ作成)

 例として,平成30年7月豪雨直後から行っていた災害を記録した地図がある。広島大学平成30年7月豪雨災害調査団(地理学グループ)を中心に災害直後から行ったものであり,その後,約1年半に渡る活動によるものである。

豪雨発生直後から多様な情報をもとに災害の状況を示す地図の作成を進め,結果として数種類の地図を作成した。すなわち,1)崩壊発生地点の分布図,2)斜面崩壊の詳細分布図,3)被災写真地図などである。これらのうち,1)および2)は日本地理学会の災害対応委員会のwebサイトに掲載された。1)の地図は発災直後の公表だったこともあり,報道等を通して広域的な災害の状況を把握するのに広く使われた。地域を俯瞰して捉えられるだけでなく,他の要素と重ねあわせるなど要因や背景を議論でき,地図の持つ力が感じられた。

5.災害伝承と災害予測に重要なディザスターマップ

 2018年から国土地理院の地形図に自然災害伝承碑が掲載されるようになった。西日本豪雨の被災地にも多数の碑があり,伝承に重要な地物であると認識されたことによる。古災害を記したディザスターマップも伝承碑と同様に,災害の様子を伝承していく素材である。西日本豪雨災害から2年半前が経ち,痕跡の多くは消滅した。見慣れた風景から災害という非日常を想像するのは容易でないが,実際に起こった災害を記録した地図は,非常時を想像する重要な手がかりとなる。防災に関する教育(伝承)にとどまらず,繰り返し発生する災害の将来予測でも重要な資料であり,歴史を踏まえて地域の形成を考え,地図表現の得意な地理学研究者は,古災害を地図で記録し,市民や後人に伝える役割があると考える。

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