主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2022年度日本地理学会秋季学術大会
開催日: 2022/09/23 - 2022/09/25
Ⅰ はじめに
1975年に重要伝統的建造物群保存地区(以下,重伝建地区)が制定されて,歴史的街並みを保全する有力な法制度の1つとなっている。その選定地区数が現在まで右肩上がりで上昇し,2022年7月まで全国43道府県104市町村126地区となっている。その中で,長野県木曽平沢(以下,平沢)は2006年に全国初の漆工町として選定された。伝統的建造物に特定された建築物は198件である。重伝建地区制度の活用に伴い,歴史的街並み保全に関わる動きが地域内に現れると考えられる。そこで,本発表では,平沢の街並みが保全されてきたプロセスを検討することを目的とする。使用したデータは,2022年5月22日~28日に実施した塩尻市役所や平沢の住民を対象とした聞取り調査,塩尻市役所提供による資料,および現地で実施した景観観察に基づいている。
Ⅱ 事例地域の概要と街並み景観の形成と特徴
平沢は塩尻市域南部に位置し,谷あいを北流する奈良井川が大きく湾曲した河川敷に発達した集落である。中山道沿いに位置し,贄川宿と奈良井宿の間にあるため,いわゆる間の宿である。 塩尻市役所に対する聞取り調査結果によると,平沢は1598(慶長3)年に周辺の山林付近に生活していた人々が後の中山道沿いに移住したことで集落が形成された。近世には檜物細工や漆器などの生産で生計を立てていた。徐々に漆器問屋が中山道沿いに集中して分布するようになり,中山道の南北両方向に町が拡大していった。大正時代,金西町の通りが敷設されてから,分家で職人の町が形成された。漆器産業の発展とともに,異なる時代の建物がバリエーションの富んだ街並みを形成している。
Ⅲ 官民協働による重伝建地区選定の過程
1970年代,平沢は漆器産業で経済的に豊かであったため,奈良井宿のように重伝建地区制度を導入しなかった。しかし,1990年代以降では,ホテルの洋風化に伴い,漆器の需要が横ばい・減少となり,住民らは新たな活路を望むようになった。隣接する奈良井宿で行われている街並み保全運動に触発され,平沢の住民らも街並み保全運動に目を目けるようになった。 その時,①住民の荻村博久氏が平沢区の区長に着任した時,市との議会で街並み保全を要望した。それで,住民らの意見をまとめて,町並み保存会を立ち上げ,初代会長を担当した。②旧楢川村の村長の立候補者が建築に興味があり,平沢を重伝建地区にする意思があると発言した。同時に,市町村合併の動きが全国的に広がり,市町村合併前の旧楢川村単独で街並みの価値づけをするのはラストチャンスと行政側が認識した。そこで,旧楢川村は,学術界に調査依頼を行った。このように,①と②の官民協働の動きによって,2005年に平沢の属した旧楢川村が塩尻市に編入合併され,翌年に平沢が重伝建地区に選定された。
Ⅳ 住民の街並み保全に対する行動
13軒の住民に対する聞取り調査結果によれば,住民らの街並み保全に対する行動は2パターン存在する。1つ目は,継承型である(9軒)。彼らは先祖代々行ってきた漆器生産を本家ないし分家として継承していく。漆器生産の家業を継承するとともに住宅や仕事場としての建物を継承していく。2つ目は,新規参入型である(4軒)。こうした街並み保全につながる行動は戦後間もなくの頃に遡ることが可能である。彼らは漆器生産の仕事を求めたり,結婚で地域内に定住したりすることで新規参入した。近年,歴史的建築物に関心があることや安心感のある生活を求めることなどから,地域内に移住して,市の空き家利活用に関する政策や地域内の原住民との協調から,空き家を利活用する行動が見られる。2パターンのいずれも建物そのものの維持につながっていく。特に重伝建地区に選定されてから,年間数軒が建物の修理修景を行っていて,街並み景観が徐々に整えられている。
Ⅴ おわりに
本発表は,長野県木曽平沢を事例として,歴史的街並み保全のプロセスを検討した。平沢は,日本の経済成長とともに漆器産業が発展し,その後横ばいの時代を迎えた。こういった経済的要素を補強するために,比較的遅い時期で平成大合併を機に,重伝建の成功事例を参照した上で,官民協働で重伝建地区制度を導入した。その際,地域内に現れた住民側のキーパーソンと行政側の有力な職員が大いに力を発揮した。重伝建地区になった平沢は,地元住民の街並み保全につながる行動を引き出す一方,域外他者を受け入れて空き家の利活用から街並み保全につながる行動を誘発している。