日本地理学会発表要旨集
2022年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 538
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発表要旨
並行在来線が地域医療に持つ可能性と課題
IGRいわて銀河鉄道の通院支援サービス
*櫛引 素夫大谷 友男
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抄録

1.はじめに

  整備新幹線の開業は地域に、高速・高規格鉄道の運行と同時に、並行する在来線のJRグループからの経営分離をもたらす。発表者らは新幹線と地域医療の関係に着目し、整備新幹線開業が沿線の医療機関にもたらす効果について2021年度から研究を進め、少なくとも3つの病院が常勤・非常勤医師の確保に成功した事例を確認した。

 本研究は並行在来線に焦点を当て、地域医療への貢献事例としてIGRいわて銀河鉄道(本社・岩手県盛岡市)の総合通院サービス「IGR地域医療ライン」を取り上げる。2022年7月中旬に実施した、沿線調査および同社へのヒアリングに基づいて、誕生の背景と経緯、利用状況、将来像、課題について報告・考察する。

2.IGRいわて銀河鉄道と地域医療ラインの概要

 IGRいわて銀河鉄道は2002年12月の東北新幹線八戸開業に伴い発足した第三セクター会社である。JR東日本から経営分離された旧東北本線・盛岡―目時(青森県)間82.0kmの運行に携わる。

 岩手県北に位置する沿線地域は人口密度が低い上に人口減少が著しく、直近6年間の人口減少率は3.6%に達する。一方で入院患者の3割が盛岡医療圏に流出し、退院後の通院需要も存在する。

 これらの事情を背景に、地域医療ラインは利用者確保策として2008年11月スタートした。現在は、①朝、盛岡へ向かう上り列車2本を「対象列車」に設定してアテンダントが乗車、②2両編成の後ろ1両を全車「優先席」化、③各駅に専用無料駐車場を開設、④割引の「安心通院きっぷ」販売、⑤盛岡駅から格安の乗合タクシー運行、というサービスを組み合わせている。2009年度の日本鉄道賞を受賞した。

 これまでの延べ利用者は約5万5千人に達し、2010年代半ばは毎年5千人台の利用があった。その後、漸減したところへCOVID-19が拡大し、直近の2年は2000人台で推移している。

3.導入の背景

 取り組みの端緒は通勤・通学と並ぶ「第三の利用の柱」を開拓しようという20代男性社員の発案だった。コンセプトの核は、公共交通機関の使命、および「安心感の提供」である。「見守られての通院」、さらに「何かあった時に鉄道を使える、という選択肢の提供」を強く意識している。

 積雪寒冷地域における冬期間の運転リスク軽減に加えて、高齢者の病院送迎を担う患者家族、特に子どもやその配偶者の負担軽減と、軽減によって生まれる余剰時間の活用、さらには今後、増加が見込まれる運転免許返納者の利用を視野にサービス浸透を図っている。

 アテンダントは、あえて医療に関する資格や特殊な技能を期待しない方針を採り、人件費と人材確保のハードルを下げている。ただし、盛岡駅から病院への乗合タクシーは、患者が支払う運賃と本来の運賃との差額を同社が負担しており、利用が伸びるほど持ち出しが膨らむ。

 このため、地域医療ラインは利用者確保につながるものの、収益の柱とは位置づけられていない。PRにも費用を投じず、もっぱらポスターやチラシ、口コミを頼りとしている。あくまでも既存のダイヤなど「所与の条件」を活用し、組織的にも財政的にも負荷が過大にならないよう、運用していく方針という。

 COVID-19拡大に伴って利用は落ち込んでいるというが、今年7月中旬、地域医療ラインの設定列車に乗車して調査した時点では、高齢者を中心に少なくとも5人程度が利用していた。その1人との会話では、地域医療ラインの存在が非常に貴重であるとの評価を確認できた。

4.考察

 地域医療ラインの基本理念は「地域に密着した公共交通機関としての責務を全うしつつ、地域との信頼関係を構築および堅持すること」と位置づけられよう。

 ヒアリングでは「地域医療ラインの思想」、「レールの外に人は住んでいない」といった言葉が聞かれた。鉄道会社として経営問題を、単なる利用者の増減や収支の構造からだけでなく、地域や住民の暮らしを広く俯瞰する視点から捉えている様子がうかがえる。

 見方を変えれば、地域医療ラインの利用者は岩手県北の医療圏から盛岡圏へ流出した人々であり、将来的な医療圏のデザインと地域医療ライン利用のバランスも視野に入れておく必要があろう。

 同社は地元バス会社と提携して2021年12月、妊産婦の移動支援を目指す割引サービス「ハグパス」も開始した。利用実績はまだないが、当面、ニーズの実態を確認しながら、サービスを継続する方針という。

5.おわりに

 地域医療ラインのモデルは、他の並行在来線や地方鉄道に移転できるかどうかは検討の余地がある。しかし、IGRいわて銀河鉄道が地域との関わりの原点に「信頼関係」や「選択肢の提供」を置いている点は、特に今後、整備新幹線の開業に伴う「巨大な条件変更」に直面する地域に対し、有益な示唆を与えると考えられる。

☆本研究はJSPS科研費21K01020の助成を受けたものです。

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