日本地理学会発表要旨集
2022年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 336
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発表要旨
カラコラム北部,シムシャール村における社会変容と持続可能性
*渡辺 悌二六井 菜月佐々木 美紀子
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抄録

カラコラム北部に位置するシムシャール村(標高3,000 m)は,少数民族ワヒで構成された人口約2,500人の小さな村である。2003年までは村に通じる自動車道路がなかったことから,外界との接触がきわめて少ない村であったが,2003年の道路開通以来,この地域を訪れる観光客・トレッカーや,トロフィー・ハンティングと呼ばれる野生動物の狩猟を目的とした観光客が増加している。 シムシャール村の土地のかなりの面積はフンジェラブ国立公園に属しており,国立公園内で住民の生活活動を認めないパキスタン政府と村との間では,長期間にわたる軋轢が存在してきた(現在も解決していない)。 本研究では,観光開発およびトロフィー・ハンティングの2つの外圧によって,シムシャール村の社会がどのように変容し,どこに向かっているのかを議論した。

 村は,ヤク,ヤギ・ヒツジを国立公園内で育て,肉としてこれらの家畜を販売することで,村の社会を維持してきた。 2007年の家畜の販売価格は,ヤクが20,000ルピー(♀)〜37,600ルピー(♂),ヤギが5,000ルピー(♀)〜6,000ルピー(♂),ヒツジが3,000ルピー(♀)〜4,000ルピー(♂)であった。2022年には,それぞれ100,000ルピー(♀)〜200,000ルピー(♂),20,000ルピー(♀)〜30,000ルピー(♂),15,000ルピー(♀)〜25,000ルピー(♂)になっていた(2022年7月現在:1ドル=220ルピー)。 最近は,村全体では年間約100頭のヤクと,約100頭のヒツジ・ヤギを販売している(2007年は,それぞれ100頭,400-500頭)。2022年10月の家畜の販売予想金額は合計で2,377万ルピーに達する。この金額は2007年時点(526万ルピー)の4.5倍に増加している。 従来から冬季には村の男性9人がローテーションで標高4,000 m以上の高地でヤクの放牧をしてきた。春から秋にかけては,標高4,000 m以上の放牧地で,ヤクおよびヒツジ・ヤギを所有する世帯の女性が家畜を放牧してきた。しかし,女性の高学歴化・社会進出が進み,夏の家畜の放牧に関わる女性が減少し,従来の制度では家畜の維持が不可能になってきた。このため村では2014年頃から,世帯ごとに家畜の所有頭数に比例した放牧世話係の割り当て日数を計算し,数世帯がローテーションで村全体の家畜の放牧をする新しい制度(ソール・システム)を導入した。 なお,村では潅漑によって,小麦とごくわずかのジャガイモの栽培が行われている。しかし,ジャガイモは自家消費用で,小麦が一部販売されているものの,その収入は無視できるほどの規模に過ぎない。

 2004年夏には村では2軒のゲストハウスが営業をしていた。2022年6月時点で8軒が営業をしており,1軒が建設中であった。現在では年間600〜800人の観光客・トレッカーが村を訪れている。村にはガイドやポーターが相当数いる。特にロバを購入できたポーターは,これまでの3倍の収入を得ることができるようになった。

 村には多くのアイベックスとブルーシープが生息していて,スノーレパードの貴重な餌資源となっている。村は,2003年に国立公園の一部(家畜の放牧場所)をコミュニティ管理狩猟地域(community-controlled hunting area: CCHA)に指定することで,家畜の放牧活動を継続できるものと考え,さらにトロフィー・ハンティングのライセンスを発行することで外貨獲得を目指す戦略を政府に認めさせた。2021〜22年の狩猟期間には,12件(アイベックス1件,ブルーシープ11件)のライセンスを発行し,村は1,931万ルピー(87,784ドル)の収入を得た(2005〜2006年の収入は4,000ドル)。

 家畜の放牧を維持するために,住民によるローテーション制度を新たに5〜10月に導入した一方で,2003年の自動車道路の完成によって可能になった観光とトロフィー・ハンティングがもたらす収入は,すでに家畜販売による収入を超えるまでに成長している。村の持続可能性は,2003年以降に加わった新たな収入源に大きく依存するようになってきている。

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