主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2022年度日本地理学会春季学術大会
開催日: 2022/03/26 - 2022/03/28
1. はじめに
鍾乳洞には様々な形態の鍾乳石が生成するが,石灰洞ではその多くがCaCO3の安定相である方解石で構成される.しかし,方解石の多形であるアラゴナイトからなる鍾乳石も一部に存在する.準安定相のアラゴナイトが生成する条件に関して,Calcite aragonite problemとして様々な研究が行なわれているが,その中でも溶液中のMg/Ca比が最も重要な要因と考えられている.本研究では,広島県に位置する「幻の鍾乳洞」に生成するアラゴナイトの生成要因をMg2+の影響に着目して調査した.
2. 調査地域と調査方法
幻の鍾乳洞は広島県の帝釈峡にある石灰洞である.地質はペルム紀の生物礁由来の石灰岩からなり,安山岩質の岩脈が貫入する.発見当初は洞口付近のみが確認されていたが,内部の土砂を除去することで,1994年にアラゴナイトが生成する箇所を含む洞窟の大部分が新たに見つかった.方解石からなる鍾乳石は洞窟内のいたるところに見られるが,アラゴナイトの鍾乳石は限られた領域にのみ密集して生成する.
現地調査は2019年12月に実施し,鉱物の産状記載と鍾乳石の採取,洞窟内での採水を行なった.鍾乳石の鉱物は粉末X線分析によって同定した.また,鍾乳石について主要陽イオン含有率を,洞内の水について主要イオン濃度を分析した.ただし,アラゴナイトの周辺には採水できるほどの水がなかったため,鍾乳石の表面に精製水を吹きかけて回収した水を分析に使用した.
3. アラゴナイト鍾乳石の生成要因
アラゴナイトからなる鍾乳石は火成岩岩脈上とその近傍の大きく分けて2箇所で密集することが確認された.一方では最大10 mmのアラゴナイト針状晶が形成しており,一部の結晶先端付近にハイドロマグネサイトの球状集合体が存在した.また,その周辺部にはセッコウが生成する場所があった.もう一方の領域では,アラゴナイトからなる数cmの針状晶とヘリクタイトが共存していた.
アラゴナイト生成部に吹きかけた水のMg/Ca比は,方解石生成部における滴下水の分析値とほとんど変わらず,先行研究から求められてきたアラゴナイトが生成するMg/Ca比のしきい値より小さい値を示した.2箇所のアラゴナイト密集部それぞれにおいて,洞床からの高さと溶液中のMg/Ca比の関係を見ると,アラゴナイトがハイドロマグネサイトと共存する箇所ではMg/Ca<0.4の範囲でばらついていたが,もう一方の場所では床に近づくほどMg/Ca比が上昇し最大で0.9となった.この結果から,アラゴナイト鍾乳石の生成過程は2箇所で異なると考えられる.
ハイドロマグネサイトの産状とセッコウの存在は,結晶沈殿時に蒸発環境であったことを示唆する.洞内水の化学分析値を基にした化学平衡シミュレーションを行なった結果,ハイドロマグネサイトが生成するには,90%程度の水分が蒸発して非常に高いMg2+濃度となることが必要であると明らかになった.このとき溶液中のMg2+はハイドロマグネサイトとして消費されるため,結晶表面に吹きかけた水のMg/Ca比が上昇しなかったと考えられる.
ハイドロマグネサイトが存在しない箇所では,その場での蒸発・沈殿が進行せず,洞窟内に浸出した水が洞壁を流下するにつれてCaCO3が生成することで,高度が低くなるほど溶液中のMg/Ca比が相対的に上昇したと推測される.また,それに加えてMg2+以外の要因が関わっている可能性もある.例えば,Sunagawa et al.(2007)は,溶液中のSr2+がアラゴナイトの生成に重要な役割を果たすことを報告した.幻の鍾乳洞にて採取した鍾乳石のSr2+含有率を測定したところ,アラゴナイトには方解石と比べて10~20倍のSr2+が含まれるため,Sr2+もアラゴナイトの生成に部分的に寄与すると考えられる.
幻の鍾乳洞ではMg2+とSr2+は水が洞内へ浸出する過程で火成岩岩脈の化学風化により供給されると推測される.これらの成分の存在に加え,蒸発が進行する箇所,もしくは流下に伴うMg/Ca比の上昇が起こるような限られた領域でのみアラゴナイトが生成すると考えられる.
引用文献
Sun et al., 2015. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 112, 3199–3204.
Sunagawa et al., 2007. J. Mineral. Petrol. Sci., 102, 174–181.