主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2023年度日本地理学会春季学術大会
開催日: 2023/03/25 - 2023/03/27
1. 研究背景
森林生態系と風化帯がつくりだす地圏・水圏・気圏・生物圏の地表近傍境界域は,地形変化と水循環および生物活動の場となっている.地表近傍境界域が受容・緩衝できる程度を超えて植生が人為的に改変されると,斜面の侵食が加速し,土層が流亡して風化岩が露出した状態へと流域の環境が変貌する.いわゆるハゲ山の出現である.地表近傍境界域の機能把握は,流域環境の持続可能性評価における重要課題である.本研究では,実際に過去にハゲ山となった履歴をもち,森林植生被覆地と無植生の裸地という対照的な地表状態の流域が現存する花崗岩山地での土層性状の調査を通じて,森林資源の過度な収奪に伴う植生の消失に対応して,なぜ斜面上の土層の存否が不連続的に切り替わるのかを定量的に論証する.
2.調査地域・方法
滋賀県・田上山地には,人為影響を免れて土層が斜面上に維持されている保存流域と,継続的な森林資源の収奪により土層が完全に喪失した履歴を持つ荒廃流域とが隣接して存在する1).本研究では,不動寺流域(保存流域)と若女裸地谷流域(荒廃流域)において詳細な現地踏査とレゴリスの諸物性の測定を実施した.また,人為的な森林消失に伴う斜面侵食加速を定量的に検討するために,保存流域の風化岩の10Be濃度を分析し,土層生成速度2)を求めた.
3. 結果・考察
保存流域と荒廃流域では,レゴリスの性状が異なっている.保存流域では,細粒分に富み相対的に粘着質な土層が凸形尾根型斜面では比較的薄く,凹形谷型斜面では比較的厚く分布する.荒廃流域では,無機質で未熟なレゴリスがごく薄く斜面を覆い(<20 cm),貫入抵抗値の大きな基盤岩(Nc>50)が斜面全体にわたって地表付近に存在する.レゴリスの性状にみられる違いは,人為影響を受けて植生が消失し斜面上から土層が完全に喪失すると,露出した風化基盤岩に対する物理的風化と直接的削剥が作用し,斜面上の土砂が恒常的に排出されるようになるため,化学的風化が十分に進行せず,細粒分が少ない無機質で非粘着質な土層が斜面を薄く覆う状態となることを反映する.
保存流域における風化岩の10Be分析に基づき土層の生成速度を求めたところ,144 ± 49 g m−2 yr−1の値が得られた.これは保存流域の削剥速度の範囲と重なっており1),荒廃流域で100‒101年の期間に観測されている土砂生産速度に比べて1‒2桁小さな速度である3)4).田上山地では,元来,岩盤の風化による土層の生成と削剥によるその除去がほぼ釣り合った状態にあったが,人為影響を受けてこの量的バランスが崩れた状態になっている.
統合すると,天然の流域環境における土層生成速度を上回る速度で斜面侵食が加速的に進行して土層が完全に喪失した結果,それまでとは異なる機構と過程そして周期で斜面構成物質が削剥される新たな状態へと遷移したことが示された.花崗岩のように,非粘着質な風化生成物をつくる岩石が基盤を構成する地質条件では,人間活動による過度な森林利用の継続に伴い,樹木根系による付加的粘着力が失われ,土層の性状が変化すると,斜面上に存在可能な土層の厚みが著しく減少してしまうことにより,植生とレゴリスによる被覆の状態が異なる対極的な流域環境が成立しうる.森林生態系の効果を加味した水文地形学的モデルの開発を通じて,人為的環境撹乱を受けて流域システムの振る舞いが変化していく過程そのものに対する理解を深化させることが次の課題である.