農業は地理学のなかで,最も研究活動が活発な分野の一つであると言ってよい。歴史的に農業は国民経済の大宗をなし,農業は自然環境の影響を強く受け,関係の科学としての自然と人間のあり方の解明,あるいは自然の制約の克服といった応用地理学的側面から地理学者の関心を集めてきた。さらに,土地利用が地域性のある景観として明確に確認でき,地理学の基本的な方法論を容易に適用できたこともその理由であろう。戦後は国民経済に占める農業の比重が一貫して低下してきたが,現在でも関連産業を含め農業地理学の研究は活発である。そこで日本の農業地理学の歴史を大まかに振り返り,斯学の発展の礎にしたい。なお本報告は,日本地理学会百年史編集委員会からの依頼により取りまとめたものである。
日本の農業地理学は,新渡戸稲造と山崎直方の薫陶を受けた小田内(1918)によって始まる。戦前,農業地理学は3つの方向からの発展がみられた。第1に,世界的なスケールから農業を地理学的に理解しようとしたものである。横井(1926),西龜(1931),伊藤(1933),栗原(1944)が,小スケールで地域による農業様式の相違について説明する著作を発表した。
第2に,ドイツ農業経営学の導入による農業立地論である。早くも新渡戸(1898)がチューネンの孤立国を紹介し,近藤(1928)による翻訳と本格的な解説がなされた。続いてブリンクマン(1931)の翻訳が出され,市場の変化や交通機関の発達,すなわち国民経済の発展に伴う立地変化について説明しようとした。これは,後に藤田(1986)にみられるように地域構造論に影響を与えた。
第3に農業形態論である。三澤(1929),佐々木(1932)などが発表され,多くの研究が蓄積されてきた。主としてミクロスケールで,地域ごとの作物や農業様式の相違について論じられた。地形や環境,土壌,水など自然環境との関係に言及されることが多かったが,佐々木(1932)では,チューネン圏を取り入れ市場の入荷圏から遠郊農業を論じるものもみられた。研究方法としては,詳細な分布図(長井1932),農地の所有関係(岩﨑1935),労働力の投入量(酉水1936),など,現代でも行われている農業地理学の基礎がつくられた。ただし,農業の発展というような問題意識は乏しかった。
3.食糧不足の克服と耕境の拡大の時代
日本の農業は戦後,食糧不足と農地改革の課題に直面し,生産方法を根本的に変える必要があった。農地改革についは,白浜(1971)が指摘するように地理学からの成果はほとんどみられなかった。一方,食糧増産のためにの農地開拓(田中1948)には,特に沿岸や湖沼地域の干拓が注目された(斎藤1969)。また,高冷地や火山山麓の農業開拓に関する研究(齋藤1952,市川1966)も進められ,地域の類型化が行われた。この方法論は,長く日本の農業地理学に影響を与えた。さらに,自然環境と農業形態の関係についての研究も盛んになった(稻見1951,市瀬1954,籠瀬1953)。
農業地理学では,地域性の特定と地域区分の研究が長年重要な課題であった。ベーカーやホイットルセイの影響を受け,日本でも市町村から全国規模に至るまで多くの研究が行われた。日本では自給的農業が主流で,特定の経営部門に特化した農業はみられなかった。そのため,農業の地域区分は複数形態の組み合わせによるものであった。尾留川ほか(1964)によるウィーバー法の適用や,土井(1970)による修正版ウィーバー法の考案が重要な影響を与えた。1970年代には計量革命の波が押し寄せ,桜井(1973)などの研究もみられたが,他分野と比べると斯学に大きな進展をもたらすことはなかった。
地域性の相違の形成要因については,主に自然条件の違いで説明されることが多かった。環境決定論的であることから,地帯構成論を取り入れ,生産関係や国民経済,歴史的視点を通じて日本全体の農業生産の配置を明らかにする地域構造論が登場した。江波戸(1960)がその先駆けで,長岡ほか(1978)でひとつの完成形となった。ここでは,加工資本や市場構造,農業政策との関連が考察され,グローバル化の中でその後の研究に大きな影響を与えた。農工間の所得格差が地域間格差に対処するため,農業基本法が制定され,選択的拡大と構造改善が進めらた。この影響で,産地の形成と変化について研究を進め,産地形成が自然条件から脱却したものであることを示した。これには茶(山本1973),養蚕(大迫1975),野菜・花卉(松井1978),酪農(石原1979),果樹(松村1980)などの研究がある。1980年代には,海外の農業に関する研究も増加し,フィールドワークに基づく詳細な成果が発表された。