主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2024年日本地理学会秋季学術大会
開催日: 2024/09/14 - 2024/09/21
1. はじめに
生活の質の向上を求めたライフスタイル移住(LM)が世界的に展開する中で,その一形態であるアメニティ移住(AM)が注目されている.日本においても大都市圏に近接する良好な自然環境や景観を有する別荘地でAMが確認されてきた.近年は,新幹線通勤やテレワークを利用する現役世代のAMが進展しており,移住者の価値観やライフスタイルなどの需要側の要因が検討されてきた.
しかし,それらの別荘地がなぜ現役世代の移住先として発展を遂げたのかを明らかにするためには,供給側の要因についても検討する必要がある.本稿では,東京大都市圏に近接する長野県軽井沢町の新興別荘地区を対象として,そこが現役世代の移住先として発展してきたメカニズムの解明を目的とする.具体的には,住宅・土地市場の動態と不動産業者の戦略との関係に着目して検討を進める.
本稿では新興別荘地区の中でも現役世代の移住が最も進展する追分地区を中心とした分析を行った.具体的な手法として,過去の航空写真と住宅地図,各種統計,文献資料,聞き取り調査,不動産各社サイトの調査に加えて,登記情報提供サービスによって取得した不動産登記簿(2006年〜2022年),ならびに株式会社ちばんラボが提供する不動産登記情報データ(2007年〜2022年)を用いて分析を進めた.
2.新興別荘地区の形成と変容(1960〜1990年代)
1960年代以降,軽井沢町の別荘地は町東部に広がる伝統的別荘地区(形成時期:1880〜1950年代)から町西部の林地にも拡大するようになった.そこでは域外資本と域内資本が競合する形で開発が進み,隣接する御代田町にまたがる一帯に新興別荘地区が形成された.しかしその多くは数十区画程度の小規模な開発であった.追分地区の林地においても開発が進み,土地の分筆がなされた.
1970年代における追分地区の航空写真をみると,土地分筆後も空き区画が目立つことが確認できた.こうした状況から,新興別荘地区では投機目的での購入を見込んだ開発が行われた可能性が指摘できる.1980年代の住宅地図においてもこの状況は大きく変化していないことから,追分地区の開発は比較的ゆるやかに進んできたといえる.
1990年代のバブル崩壊によって軽井沢町の地価は大幅に下落した.ところが,1997年の北陸新幹線軽井沢駅の開業に伴う住宅・土地需要の増大を背景に,軽井沢町では不動産業への新規参入が相次いだ.新興別荘地区の土地は,こうした新規参入業者によっても取得されるようになった.
3.新興別荘地区の発展(2000年代以降)
2000年代に入ると,退職移住ブームが重なり新興別荘地区の発展がみられるようになった.追分地区では新規参入業者による開発が進展するとともに,既開発の空き区画に住宅が建造される動きもみられた.こうした動きの背景には,土地所有者の世代交代の影響も確認された.
2010年代には,別荘利用者向けの市場を開拓してきた老舗業者との差別化を図ろうとする新規参入業者が現れた.これらの業者は新幹線開業後に増加しつつあった現役世代移住者に注目し,町西部の新興別荘地区を移住・定住に向いた土地としてアピールするようになった.その結果,追分地区に移住する現役世代が増加した.追分地区では,それまで開発が進んでいなかった用水路の周辺の土地をヨーロッパの運河の景観になぞらえて販売する戦略もとられた.
2020年代に入ると,コロナ禍におけるテレワークの進展や私立の小中一貫校の開校などが契機となり,軽井沢町へと移住する現役世代がさらに増加した.軽井沢町では「不動産バブル」とも呼べる状況が続き,追分地区でも住宅・土地価格の高騰がみられるようになった.
本稿の知見は以下の3点にまとめられる.第1に,2000年代以降の追分地区の発展を牽引したのは新規参入の不動産業者であった.第2に,新規参入業者の独自の市場開拓戦略によって現役世代の移住が促された.第3に,土地所有者の世代交代がこれらの発展を後押しした.発表当日は以上の知見を踏まえて,長野県軽井沢町における新興別荘地区の発展メカニズムを考察する.
※本研究はJSPS科研費(23K18738,23K28330)の助成を受けたものである.