日本地理学会発表要旨集
2024年日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 404
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岡山県の地租改正の展開と地籍図
和算家の活躍と他府県への影響に注目して
*古関 大樹
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抄録

現在の岡山県は,旧岡山県(備前),旧小田県(備中備後),旧北條県(美作)が明治9年(1876)4月に統合して成立し,この時,備後国は広島県に移管された。このうち,旧岡山県と旧小田県は,地券発行と地租改正が全国的に見ても特に早く進んだ地域である。岡山県の地租改正の展開については,岡山県史(1986)とその資料編(1987)で基本資料が整理されている。岡山県庁文書は,岡山空襲によって原本が焼失したが,明治期に県の官吏を勤めた野崎家に布達類の写しが残っており,現在,岡山県立記録資料館と岡山大学図書館に分割して引き継がれている。植松(2004)では,岡山市立中央図書館に残る地籍図のうち,高島地区の種類の分類と年次が整理された。岡山県史や植松の研究では,地図の写真が収録されておらず,図書館で調査確認したところ,後に岡山市に編入した地域の空襲を免れた役場文書が図書館に移管されたという。旧小田県(備中)に該当する地域の地籍図も含まれるので,同館と倉敷市歴史資料整備室で調査を行った。倉敷市は,市史編纂時に丁寧に役場文書を整理・保存しており,地元の和算家の関与も分かる。金光図書館には,多くの和算家を育てた小野光右衛門の資料群があり,岡山県内でも旧小田県の地券発行と地租改正の展開は特に早い。辻(1994)の香川県の研究では,2年遅れて地租改正に着手した香川県が,岡山県から和算家を招き,会社を作らせて地租改正にあたったとの若干の記述がある。しかし,具体的な資料が示されていないので,香川県立文書館で調査を行った。従来の地租改正研究では,主に東北地方の和算家の事例が知られており,西日本の事例は少ない。そこで本発表では,旧岡山県と旧小田県を主な対象地とし,岡山県の地籍図の成り立ちと和算家の関わりについて考察したい。なお,旧北條県の明治期の文書は残り方が悪く,十分な資料も収集できていないので,本発表では対象外とする。

 旧岡山県は,明治7年に「地租改正ニ付人民心得書」を管下に伝達した。また,明治5年の年紀がある土地一筆を描いた大型の一村全図も残されており,地券発行に伴う土地丈量で壬申地券地引絵図が先行して作られた。この一村全図も比較的精巧で,他府県では調査が遅れがちな山林まで地番が入っている。速やかに土地調査を終えたことから,全国的に見ても地租改正事業の着手年次が早い。しかし,実際の土地調査は翌8年末まで遅れた。

 当時の県庁の幹部職員は,士族・地主豪農賞などの岡山出身者が占め,新田も多かったことから,政府に反して減租を実現しようとした。政府は岡山県の案に反対し,官吏を派遣して何度も交渉を繰り返したが,農民の反発も強硬で,県の担当職員や正副区長・地租改正総代は,8年9月に全員辞表を提出した。県令も辞表を出し,鹿児島士族の新県令が政府方針を強行し,12月に地租改正完了が地租改正事務局に報告された。

 このような経過をたどったことから,岡山県内で確認される地租改正に関する明治8年の史料は,検見帳や丈量帳が中心で,その中に再丈量の一筆図が含まれている。土地調査も地価の設定が主な課題であったことから,壬申地券地引絵図を代わりに利用したのだろう。

 旧小田県は,明治5年8月に地券の担当職員を任命して巡回指導した。また,8年2月に土地調査の心得と実地丈量人民心得書を布達した。反別丈量は10月までに完了した。旧小田県も地券発行の土地調査で作成した一村全図形式の壬申地券地引絵図が基礎になっており,8年の実地丈量で字限図を作った事例も確認される。旧小田県は,河川改修や干拓などに従事した和算家が多かった地域であり,明治期の史料でも名前を記した資料がみられる。その経験者が香川などに呼ばれたと考えられる。

 このように岡山県は,速やかに地租改正が展開したが,明治9年には地籍編製事業に着手しており,同年~10年以降の年紀を持つ資料が確認される。全国でも最も早い地域であるが,その資料的性格や旧土地台帳附属地図(旧公図)に与えた影響については,別の機会に報告したい。

〔付記〕本研究を進めるにあたり,2023年度科学研究(奨励研究:23H04996)の支援を得た。また,岡山県立記録資料館,岡山市立中央図書館,倉敷市歴史資料整備室,金光図書館,香川県立文書館で資料の閲覧に便宜を図っていただいた。お世話になった職員の皆様をはじめ,アドバイスいただいた方々に御礼申し上げます。

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