日本地理学会発表要旨集
2024年日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 437
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サブ・エスニック集団の形成と宗教施設に基づく統合
-横浜中華街を事例に-
*嵇 宸
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抄録

Ⅰ はじめに

 サブ・エスニック集団は,エスニック集団の内部で国籍,言語,出身地域,社会階級,あるいは異質な社会からの集団などによって引かれる細かい境界線をに基づく概念である(Pan and Luk 2008)。関連する研究として,香港における広東語,客家語や上海語などの方言グループ間の住み分け(Lin 2002),トロント中華街におけるベトナム系華僑と広東系華僑間の競合(Pan and Luk 2008)などの研究が挙げられる。さらに,鍋倉(1997)はシンガポールの多人種主義政策を批判し,華人,インド人といった「フォーマル・エスニシティ」ではなく,広東系,福建系といった出身地や方言に基づくサブ・エスニック集団が移住者の日常生活において主要な場であり,「インフォーマル・エスニシティ」への注目が必要であると指摘している。山下(2010)は,来日時期により生じるニューカマーとオールドカマー間の衝突を示している。このように,サブ・エスニシティの研究はエスニック集団内部の多様性を理解する上で重要であり,特に華僑華人コミュニティのような多層的な社会構造を持つ集団においてが不可欠である。

 しかし,出身地や言語といった先天的要因に加え,政治傾向やその他の後天的要因も考慮することで,より包括的な理解が得られるであろう。

 そこで,本研究は横浜中華街を対象に,政治傾向によって生じているサブ・エスニシティに焦点を当てる。さらに,海外華僑華人が共通に信仰する関帝・媽祖信仰を通じて,こうした政治的なサブ・エスニシティ間の統合に注目し,横浜華僑華人コミュニティにおける政治,アイデンティティ,宗教の関係性を考察する。

Ⅱ 横浜中華街におけるサブ・エスニシティの形成と統合

 世界の他のチャイナタウンと同様に,横浜中華街には,方言や出身地に基づく広東派や福建派などのサブ・エスニック集団が存在する。ただし,世代交代により,これらの方言や出身地に基づくサブ・エスニック集団の影響力は徐々に弱まってきた(林 2010)。代わりに,1953年の学校事件に伴い,横浜華僑コミュニティでは共産党を支持する大陸派と国民党を支持する台湾派という,政治に基づく2つのサブ・エスニック集団が生じ,こうした両派間のトラブルが1980年代まで続いた。

 1986年の第4代関帝廟の再建をきっかけに,両派は和解し,横浜中華街全体の利益のために連携してきた。両派は共に中国大陸と台湾から職人を招き,積極的に資金を集めるなど,再建に向けた行動のみならず,中立派華僑(中華会館など)を中心に関帝廟管理委員会を再結成した。また,それ以来復興した関帝誕という宗教イベントの主催は,両派のみならず,日本人を含めた中華街全体の各団体間のコミュニケーションの場を提供し,地域社会の和解と統合に貢献しており,横浜中華街を再活性化させている。

Ⅲ 展望

 本研究はサブ・エスニシティに関する研究に新たな事例を追加し,出身地や方言といった先天的な要因だけでなく,政治などの後天的な要因への注目を示している。また,本研究は多様な団体間の交流の場としての宗教施設が果たす役割を提示し,多文化主義社会の構築において宗教施設への注目の重要性を示している。その上で,横浜中華街への愛着,華僑華人としてのアイデンティティや帰属感,関帝・媽祖信仰といった中華伝統文化と政治の関係性を考察している。

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