Ⅰ.問題の所在
観光産業は,低成長の続く日本経済への波及効果や,衰退の著しい非都市部・地方圏における地域活性化に資する産業として期待されている.こうした,いわば観光経済への注目が集まる一方で,それを下支えし,持続的に成り立たせていく役割を担う存在であるはずの観光労働への視点は,ほとんど顧みられていない.観光労働は,今や社会的にも学術的にも考察する意義の高い分野となっている.本研究では,日本における人口減少・少子高齢化および都市部への人口集中が進行するなかで,狭小な地域労働市場や人口の少なさなどの影響によって,相対的に労働者の確保が困難になりつつある非都市部型観光地を事例に,どのような背景を持った労働者が,いかなる理由によって,そうした非都市部型観光地の特に宿泊業で就業しているのか,その経験的な側面を明らかにすることを目的とする.とりわけ本研究では,上記の要因が当てはまる地域である一方,インバウンドを含め,関東圏を中心とした観光客が多く訪れている長野県軽井沢町を対象とした.
Ⅱ.研究視点・方法
観光労働に関連付けられる既往研究では,本研究と同様に経済けん引力の強い宿泊業を事例にして,いかにして労働生産性の向上を図るかにもっぱらの焦点を当ててきた.換言すれば,経営組織の収益獲得に結び付く労働力として認識してきたと言える.この視点は,労働力がその供給主体である労働者と不可分にあり,彼らが主体的な意思を持つ存在で経験的な側面を有することを考慮する見方に乏しい.海外では,観光産業がサービスの同時性・同所性を持つことから,労働者の物理的移動と密接に関係するという認識の下,非都市部に位置するリゾート地の地域労働市場を事例に,能動的移動を行う労働者の経験を捉える研究が行われている.しかし,労働者の実態をより体系的に捉えるためには,能動的移動を行う労働者以外をも包摂する必要性がある.本研究では,モビリティ概念を援用することで,この課題を克服することを試みた.また,女性出稼ぎ労働者の経験的研究において,労働市場や家に基づく構造的な制約のなか,宿泊業等で働く女性の労働経験が肯定的に生きられていることが指摘されている知見を踏まえ(山口 2011),女性パート労働者において制約された中での主体性や生きられた経験を描き出すことにも力点を置いた.
Ⅲ.研究結果
本研究の調査対象者は39人で,うち正規雇用者は25人,非正規雇用者は14人となっている.非正規は,パート8人,派遣4人,契約社員2人となっている.なお,パート労働者は全員女性で,契約社員は2人ともが男性である.分析に際しては,正規・非正規を問わず,移動性・職業経歴を中心としたこれまでの経験を把握することで考察を行った.
正規雇用者の軽井沢町での就業理由は,①キャリア追求型,②リゾート・軽井沢町志向型,③出身地志向型に大別される.ここでは,①と③について記述する.①は,さらに(1)転職移動と(2)能動性を帯びた転勤移動に分けられる.いずれにおいても軽井沢町をキャリアアップが達成できる地域として認識しているが,転職移動と転勤移動の差異となって立ち現れる要因の一つに内部労働市場内でのキャリアの見通しが立つか否かが挙げられる.これと表裏をなすように,転勤移動の事例は事業母体が大規模でありキャリアパスの過程が体系立っている宿泊施設で確認できる.
③は,(1)地元志向と(2)地元生活志向の2つの事例として分けられる.(1)は,心理的に出身地の近くで働きたいという志向を持つ事例であり,必ずしも出身地との物理的な近接性は伴わない.一方,(2)は物理的に出身地と近接した場所で働き,生活する意向を持つ事例であり,(1)とは対照的に,出身地や実家からの近接性が明確に意識されている.
非正規雇用者の特に女性パート労働における軽井沢町での就業理由を確認すると,随伴移動者として男性配偶者に従って軽井沢町に移り住み,家事・育児などの再生産労働を主に担い,それとの両立を模索した結果,非正規雇用としてサービス業としての宿泊業で就業する様相が見られる.こうした事例は,女性配偶者における構造的な制約が依然として存在する現状を浮き彫りにするが,一人ひとりの労働経験は否定的なものではなく,むしろ前向きなものとして捉えられており,働く中での主体性の発揮が垣間見える.
【文献】山口恵子 2011. 日本の周縁地域における労働移動とジェンダー―女性の出稼ぎの過程に注目して―. 人文社会論叢.社会科学篇 25: 67-84.