日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: 635
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移住と定住化による生業変容
タイ北部における地域比較
*中井 信介池谷 和信
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抄録

1 はじめに

 国家の特定の地域内において、いくつかの民族がすみ分けて暮らす状況、いわゆる多民族の共存状況も、過去の履歴をたどると、何らかの形成過程を確認することができる。また、フィールド調査で観察できる現在の地域の状況も、動的に変容しつつある過程の、一断面を確認している。いわゆる環境史と呼ばれる研究群も、このような視点から把握できる(cf. 池谷編2009)。

 例えば東南アジアの大陸部では、盆地にタイ族やラオ族あるいはビルマ族など、過去に王国を形成し、現代では近代国家を構成する主要民族である水田稲作民が暮らしてきた。そして、標高1000m程度の山地には、多様な少数民族が焼畑農耕や狩猟採集をして暮らしてきた。これらの民族の生業は、それぞれの変容過程にある。

 本発表ではタイ北部の東側(ナーン県:ラオスと国境を接する)の事例から、地域における各民族の生業変容の状況を整理する。とくに移住とその後の定住化の影響に焦点を置いて検討する。また、西側(メーホンソーン県:ミャンマーと国境を接する)の状況整理を若干行い、生業変容をめぐるタイ北部の各民族の状況について、東と西の地域比較を試みる。

2 結果と考察

 筆者がこれまで主な調査を行ってきた、タイ北部の東側に位置するナーン県(2013年に人口約48万人)は、盆地にはタイ系民族、山地にはモン(Hmong)族(2002年に人口約2.5万人)やミエン族やカム族が暮らしてきた地域である(中井2013、2025)。さらに狩猟採集を主な生業としてきたムラブリ族(2010年に人口約350人:隣のプレー県を含む)も暮らしてきた(Nakai and Ikeya 2021)。

 例えば、あるモン族の村(HY村:2005年に人口632人)では、2000年代以降の換金用トウモロコシ栽培において、近隣のムラブリ族を労働者として利用する集団が存在し、また収穫時にカム族を労働者として利用する事例が存在した。そしてカレン族は、キリスト教の教会関係者として、ごく少数(HY村には2006年に2名)が暮らしてきた。近隣のミエン族は、モン族より人口規模は小さいが、モン族とほぼ類似した生業を営んでいる。

 タイ北部の西側(メーホンソーン県)は盆地が少なく、タイ系民族よりも少数民族が多く暮らしている。山地には多くのカレン族が暮らし、あわせてモン族も暮らしてきた。しかし、ムラブリ族はメーホンソーン県での確認事例がない。東隣のチェンマイ県では1950年代の記録が最後で、以後はチェンマイ県より東側でのみ確認されてきた。

 現在のタイ北部の領内に、カレン族(チベット・ビルマ語系)は西側から移住して、18世紀後半に到着している。いっぽう、モン族(ミャオ語系)は東側から移住して、19世紀後半に到着している。21世紀の視点からみると、タイ北部地域の山地に存在した未利用の資源を、到着時期が約100年間異なる集団が、それぞれ定住化を進めながら利用してきたことになる。

文献

池谷和信編2009.『地球環境史からの問い ヒトと自然の共生とは何か』岩波書店.

中井信介2013.自然資源利用と豚飼育 タイ北部の山地農村の事例から.池谷和信編『生き物文化の地理学』193-209.海青社.

中井信介2025.『豚を飼う農耕民 タイにおけるモンの生業文化の動態をめぐる民族誌』明石書店.

Nakai, S. and Ikeya, K. 2021. Mobility and the Continuity of the Relationship between Hunter-gatherers and Farmers in Thailand. Senri Ethnological Studies 106: 181-194.

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