開田高原には,草原性の希少な昆虫や草本が生息・生育する半自然草地がある。これらの希少種は氷期の生き遺りとされ,縄文時代以降温暖化による森林化が進むなか,人間活動によって維持された草地の中で生き延びてきたと考えられている。
近年,日本の土壌の1つである黒色土は火によって維持された草原的環境下で生成されてきたと考えられるようになった。花粉や植物珪酸体の分析から黒色土の多くを占める腐植の起源が草本であること,黒色土には植物の燃焼によって生じた細かな炭(微粒炭)が含まれていること等が明らかになったためである。そのため,従来の花粉や植物珪酸体に加え,黒色土層に含まれる全土試料や微粒炭の分析によっても環境史が検討されるようになった。広大な草地を有する阿蘇外輪山や霧ヶ峰高原にも黒色土が分布し,多くの草原性の希少種が生息・生育している。阿蘇では花粉・植物珪酸体・微粒炭の分析から,火事による草地維持は縄文早期以前に遡ると考えられている。霧ヶ峰では全土試料が分析され,遅くとも縄文中期までに野火による草地維持活動が始まった可能性が推測されている。
開田高原にも黒色土が分布し,旧石器時代から縄文時代の遺跡や遺物が多く出土している。本研究では,当地域の草地の歴史を検証することを目的に,黒色土層の土壌断面の記載,全土試料の14C年代及び安定炭素同位体比の測定を行い,黒色土の生成年代について検討した。
当地域の黒色土は緩傾斜地に広く堆積していたが,上面では堆積したものが侵食され,その周縁斜面では現地性の黒色土に,再堆積した黒色土やローム等が混入していることが想定された。上面の黒色土層も人の焼畑や耕作,植林等により攪乱を受けている可能性が推察された。つまり,当地域のように集落に近く,多様な地形からなる場所では,草地の歴史が継続的に検証できる現地性の黒色土が古い順に堆積している層を探すことは容易ではないと考えられた。一方,全土試料の14C年代は,当地域の黒色土の堆積が縄文早期に始まり,弥生時代や古墳時代にも続いていた可能性を示し,安定炭素同位体比はいずれも現在の半自然草地の表層土壌と似た値を示していた。開田高原においても野火による草原は縄文時代から存在したかもしれない。