日本調理科学会大会研究発表要旨集
2021年度大会(一社)日本調理科学会
セッションID: P-75
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『御後園諸事留帳』におけるコイの食習慣
*畦 五月
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抄録

【目的】『御後園諸事留帳』は江戸時代中期から明治初期にかけての岡山後楽園の記録である。この中には各種の行事記録だけではなく、食事記録も含まれているため、岡山におけるこの時代の食習慣を研究することが可能な貴重な史料といえる。江戸時代以前のコイは「タイにも勝る」魚として扱われていた記録があるが、江戸時代にはタイが最上品とされている史料もある。そこで、岡山藩の記録である『御後園諸事留帳』を史料として使用することで、江戸時代中期から明治初期までの岡山藩での上層階層のコイの使用状況を明らかにした。

【方法】『御後園諸事留帳』(上中下巻)(吉備人出版)から、コイの記録を抽出し、料理、被下(被進)、取置きなどに分類し使用の状態を探った。

【結果】同書におけるコイの記録は約600事例みられた。その内、料理献立が約半分を占め、調理法は作り身(生盛)、吸物・汁物、鉢盛(煮物か)、鱠などであった。最上級階層向けの料理となり提供される、あるいは200人を超える宴会で中層階層以下に使用される材料であった。その場合、予め行事前にコイは漁獲され(鯉川と称した)、入用分を取り置き(生置、活置)して自給自足で使用された。漁獲数と魚種は毎回詳細に記録され、魚種毎に、あるいは大きさ(大中小)毎に分類され、良品のみ上層階層には提供されていた。余剰品や雑物は鳥の餌として、あるいは漁獲者や役人に被下され、誰に何の魚種を何匹の詳細な記録も残っていた。また、大きなコイは土産として被進(下)された事例や、逆に祝儀の品(タイ)が入手できずコイで代用された事例もみられた。特殊例では、食薬としてコイ黒焼が提供された事例や、母乳の出を促す目的で使用された事例もあった。

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