2015 年 2015 巻 42 号 p. 65-76
真言宗寺院証菩提寺(横浜市栄区上郷)は、鎌倉時代中期から鶴岡八幡宮を頂点とした鎌倉の密教世界の中で、寺門僧・山門僧が多くの供僧を占める天台宗の拠点寺院であった。証菩提寺は石橋山合戦で討死した佐奈田義忠を岡崎一族が供養するために創建した寺院で、当初は私度僧によって運営されたと推測される。しかし、北条氏の家政を動かす長崎氏の一族盛弁が別当に就任した後は、証菩提寺別当と鶴岡二十五坊供僧の兼務は継続的に続く関係となり、証菩提寺の僧は鎌倉で行われる修法に呼ばれる立場になった。盛弁以後、証菩提寺の別当・供僧は正規に伝法灌頂を受けた官僧が多く務めるようになる。南北朝時代になると、証菩提寺別当は村上源氏の縁者が務めるようになり、鶴岡八幡宮で行われる修法の導師も務めるようになった。また、鎌倉の明石谷一心院との兼務となり、一心院が本務、証菩提寺が兼務の関係になっていった。この時期の証菩提寺は、十五口の別当・供僧を抱える天台宗の拠点寺院である。村上源氏との俗縁、天台寺門流主導の密教寺院という立場は、証菩提寺が京都の権門寺院と密接に結びつくことによって形成されたものである。本稿は、この時期の証菩提寺の別当・供僧の経歴を復元することで、中世の証菩提寺の姿を明らかにするものである。