抄録
本シリーズでは、放送開始から100年を迎えたのを契機に、新たに見いだされた史料も参照しつつ放送の歴史を多角的に検証する。第1回は、戦前のラジオ課税と公納金をめぐる議論に焦点を当てる。
戦前、ラジオに関しては、少数の富裕層を対象にした贅沢(ぜいたく)品との見方から、聴取者に課税しようとする動きが現れた。このうち、1925年に茨城県で起きたラジオ課税論議では、社団法人東京放送局が逓信省や東京などの新聞社と連携しながら課税反対運動を展開し、ラジオが教育目的でも利用される点など、その公益性を強調した。そして運動の盛り上がりを背景に、茨城県当局のラジオ課税案は議会で否決され、問題はいったん収束した。
しかし、昭和恐慌を経て地方財政が悪化する中、道府県では再びラジオに課税しようとする動きが現れ、1931年、北海道で初めて課税案が可決された。このときも日本放送協会は逓信省とともに課税阻止を図ったが、ニュース報道の競合が生じる中で新聞社との連携は見られず、世論に訴える形での論議もなされなかった。対応を迫られた日本放送協会は、内務省の提案に応じる形で1932年度から聴取料収入の約12分の1を公納金として各道府県に納めることで課税を回避し、問題を決着させた。公納金はその後、聴取料収入と比例して増え、終戦後まで十数年にわたって継続された。
戦前、公納金が導入された背景には、放送制度上、聴取料の位置づけが曖昧で、その使途に関する明確な制約が存在しなかった点があった。また、決着の過程では、放送の公益性と財源に関する議論が十分になされないまま、事態の早期収拾が図られた面があった。