日本物理学会誌
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解説
液体に現れるナノ・スケールの構造――X線非弾性散乱による原子ダイナミクス研究から
細川 伸也乾 雅祝
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2019 年 74 巻 9 号 p. 612-620

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抄録

液体は固体とほぼ同密度であるが,並進対称性が失われたランダムな原子配列をとる.例えば液体金属に対しては,原子サイズを反映させた剛体球のランダム充填がよい近似となって,原子配列や電子構造の理解が進んできた.また,「水は方円の器に従う」という故事にあるように液体は自由に形を変える.「ずれ」方向の復元力がはたらかないことが液体が柔軟である理由であり,このため横波音波は液体を伝播しない.例えば,どの高校物理の教科書をみても,「横波は固体中しか伝わらない.これは液体や気体では,媒質を少しずらしたとき,もとにもどそうとする力がはたらかないからである.」(数研出版『総合物理2』より引用)のような明瞭な記述がある.実際,地震波のS波(横波)は地球中心部に伝播しない領域を有し,震源の反対側にある地表の観測点にはS波が到達しない影が現れる.しかしながら,液体論の専門教科書には横波音波に関する説明がある.この差異が現れる理由は,液体論では数nm,数psというミクロで瞬間的な性質を対象としているからである.このような空間・時間における液体は粒子描像で記述され,横波音波が存在できる.X線や中性子を用いた非弾性散乱実験は,まさにそのような空間・時間の原子・分子ダイナミクスを明らかにしてきた.液体の非弾性散乱スペクトルと,これから導かれる動的構造因子には,X線や中性子とエネルギーをやり取りしない準弾性散乱ピークの両側に,10 meV前後のエネルギーをやり取りした非弾性散乱成分が現れる.この非弾性散乱成分には,液体中の原子の粗密波などの集団運動を励起するエネルギーと運動量に関する情報が含まれている.1990年代後半にSPring-8などの大型放射光施設で強力な高輝度X線が利用できるようになり,20 keV程度のエネルギーをもつX線に対し1 meV程度のエネルギー変化を検出できる高分解能X線非弾性散乱(IXS)測定が実現した.

液体GaやSnを始めとして数多くの液体金属を対象にIXS実験が行われ,これらの動的構造因子には,液体中の粗密波(縦波音響モード)の励起を表す非弾性散乱ピークと準弾性散乱ピークの間に非弾性散乱成分が存在することが見出された.コンピューター・シミュレーションが予言する動的構造因子と比較して,この低エネルギーの非弾性成分の起源は横波音波(横波音響モード)であると結論された.また,BiやGeTeなどがとるA7型結晶構造は単純立方構造を歪ませたもので,立方体の辺に沿って眺めると短い結合と長い結合が交互に並んだものである.この構造は,ブリルアン・ゾーン境界で電子エネルギーにギャップが現れエネルギーが利得する,JonesやPeierlsが指摘したメカニズム(パイエルスの不安定性)が作用することで安定化している.液体Biや液体GeTeのIXS実験が行われ,縦波音響モードの励起エネルギー(ħω)が極大値付近で平坦な形状になる特異な運動量(Q)依存性(分散関係)を示すことが見出された.このω –Q分散関係は,これらの液体が結晶同様,単純立方構造を歪ませた局所原子配列をとることと強い関連があると考えられる.このような結果は,液体のナノ・スケールの3次元構造がその物性に深く関わっていることを示している.

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