抄録
【目的】本研究では,運動感覚を記憶し後に再生する過程の中で生じる誤差について検討した.運動感覚の記憶・再生時に生じる誤差には,運動感覚を知覚刺激として弁別する際に生じる誤差と,一旦記憶した運動感覚を運動として再生する際に生じる誤差の2種類がある.本研究ではこれら2種類の誤差のパターンを比較することにより,知覚・運動システムの機能に関する示唆を得ることを目的とした.
【方法】健常成人10名(男性4名,女性6名,平均年齢29.4±4.4歳)を被験者とした.被験者は椅座位で右肘を90度に屈曲し,手にフックを持ち,閉眼する.この肢位でフックに7種類の砂嚢をランダムな順序で提げることにより刺激を提示した.1つの砂嚢を提示している間に,被験者にその砂嚢の“重さの見積り”をさせた.被験者は閉眼で砂嚢を持ち上げながら,その砂嚢が「何kg」だと思うかを口頭で報告し,実験者がメモを作成した.また,いくつかの砂嚢を見積った後に,前に戻って「何番目を何kgに修正」することはいつでも可能とした.但し,被験者が行った見積りに対するフィードバックは一切与えなかった.
被験者には重さの見積りと同時に,砂嚢を持ち上げるのに要した肘屈筋群の筋力を記憶するように指示しておき,後に再生させた.再生は砂嚢の提示時に作成した“重さの見積り”に関するメモを参照しながら行うものとした.半数の被験者は砂嚢を提示した順序に従って再生する順行再生を行い,残り半数の被験者は砂嚢を提示した順序とは逆の順序で再生する逆行再生を行った.本実験に用いた砂嚢は次の2系列であり,被験者によりどちらか一方の系列を用いた.A系列:1kg, 1.5kg, 2kg, 3kg, 4kg, 5.5kg, 7kg.B系列:0.5kg, 1kg, 1.5kg, 2.5kg, 3.5kg, 5kg, 6.5kg.
【結果】各被験者の砂嚢の重さの「見積り値」と「再生値」の間には高い相関が見られた(0.917<r<0.987,いずれもp<0.01).しかし,全被験者の見積りにおける誤差の平均値(1.0±0.65kg)と再生における誤差の平均値(4.2±2.01kgw)の間には有意な差があった(t=4.697,p<0.01).つまり砂嚢の重さに対して見積り値と再生値をプロットすると,再生値のグラフは見積り値のグラフを上方へ平行移動したものになった.
【考察】本実験結果では,見積りにおける誤差は比較的小さかった.しかし再生の際にその見積り値を参照させたにも関らず再生時の誤差は見積り時よりも増大した.このことから,運動感覚の入力時に用いられる基準系(スキーマ理論における運動反応スキーマのような参照基準)と運動再生時に用いられる基準系は別のものであり,正しい運動を行うためには両方の基準系を個別にキャリブレーションする必要があることが示唆された.