抄録
【目的】国際疼痛学会や本邦の診療ガイドラインによれば,難治性の慢性痛を呈する複合性局所疼痛症候群(CRPS)の発生・進行のリスクファクターの一つに患肢の不活動が掲げられている.加えて,ヒトや動物を対象に行われた実験研究においてもギプス固定による四肢の不活動によって痛覚閾値の低下が生じることが明らかになっている.一方,臨床場面をみると不活動は上記にあげた四肢のギプス固定のみならず,ベッド上での安静・臥床によっても惹起される.しかし,安静・臥床が四肢の痛覚閾値におよぼす影響についてはこれまで臨床・実験研究の双方で明らかにされておらず,この点を検討することは不活動に伴う痛みの発生メカニズムを解明する上でも有益な情報を提供できる可能性がある.そこで,本研究ではヒトにおける安静・臥床状態と骨格筋の運動学的活用や代謝物質の動態が類似するとされる後肢懸垂(HS)モデルラットを用い, HS期間中からHS解除後までの機械刺激に対する痛覚閾値の経時的変化を調査した.
【方法】実験動物には,8週齢のWistar系雄性ラット15匹を用い,無作為に無処置の対照群(n=5)と実験群(n=10)に分け,実験群のラットは1)HSを4週間継続し,その後8週間通常飼育する群(HS群,n=5),2)HSの疑似処置を4週間継続し,その後8週間通常飼育する群(Sham群,n=5) に振り分けた.HS群とSham群に対する実験処置としては,自作の懸垂装置を尾部に取り付け,その吊り上げる高さを調節することでHS群は後肢を非荷重状態に,Sham群は荷重できる状態とした.なお,尾部に懸垂装置を取り付けて飼育することは通常飼育の場合よりラットを拘束すると考えられたため,この影響を検索する目的で今回Sham群を設けた.そして,実験期間中は3日に1回の頻度で機械刺激に対する痛覚閾値を評価した.具体的には,4・15gの刺激強度のvon Frey filament(VFF)を用いてラットの両側足底部をそれぞれ10回刺激し,その際の逃避反応の出現回数をカウントすることで評価した.また,各群のラットとも餌と水の摂取は自由としたが,上記の実験処置の影響を考慮して1週間に1回の頻度で体重の測定も行った.統計処理には,評価期日毎にKruskal–Wallis検定ならびにその事後検定としてTukey法を適用し,危険率5%未満をもって有意差を判定した.
【説明と同意】今回の実験は,長崎大学動物実験指針に基づき長崎大学先導生命科学研究支援センター・動物実験施設で実施した.
【結果】4gのVFFに対する逃避反応回数は,実験期間を通して対照群,HS群,Sham群の3群間に有意差を認めなかった.一方,15gのVFFに対する逃避反応回数は,実験期間を通してHS群とSham群の間には有意差を認めなかったが,この2群はいずれも実験開始2週目より対照群に比べ有意に高値を示し,この結果は通常飼育に移行した5週目まで同様で,6週目以降になると対照群との有意差は認められなくなった.また,体重は実験期間を通してHS群とSham群には有意差を認めなかったが,実験開始3週目以降はこの2群いずれも対照群に比べ有意に低値を示した.
【考察】先行研究によれば,4gのVFFはアロデニアを, 15gのそれは痛覚過敏を評価できる刺激強度とされ,今回の結果はHS群,Sham群とも痛覚過敏が惹起されたことを示唆している.また,通常飼育に移行しても約5週間は痛覚過敏が持続していたことから,慢性化する可能性も秘めていると思われる.次に,不活動によって惹起される痛みの発生メカニズムには,末梢組織からの刺激の減弱・消失が関与するとした指摘があり,この点に着目すると後肢に荷重刺激が入力されるSham群の方が非荷重のHS群より末梢組織への刺激量は多い.しかし, 4・15g のVFFとも実験期間を通じてHS群とSham群で有意差を認めず,末梢組織への刺激量の違いは今回の結果には反映しなかったということができる.一方,ラットの全身に反復して拘束処置を施すとそのストレスによって足部に痛覚閾値の低下が認められたという報告がある.そして,HS群やSham群における体重の減少からも明らかなように,今回の実験操作はラットに拘束を与えていることは間違いなく,このことが痛覚過敏の発生に影響しているのではないかと考えられる.しかし,その詳細なメカニズムは不明であり,今後検討を要する点である.
【理学療法学研究としての意義】本研究はHSモデルラットを用い,安静・臥床が痛み発生におよぼす影響を検討した実験研究である.結果として,HSのみならずその疑似処置でも痛みが発生することが明らかとなり,その要因の一つに身体拘束が影響している可能性が見いだされた.つまり,本研究は理学療法の治療対象である慢性痛の発生メカニズムを探る上での基礎データの一つを提示しており,意義のある研究と考える.