抄録
【目的】臨床において呼吸運動や呼吸パターンは、視診、触診により胸腹部運動を観察することによって評価される。しかし、その参考となる呼吸運動に関するデータは示されていないため経験的に判断されることが多い。そこで本研究では、健常者における胸腹部呼吸運動の参考値を提示するため3次元動作解析装置により胸腹部の呼吸運動を測定し、年齢、性、姿勢による違いについて検証した。
【方法】20歳~75歳の健常者100名を対象とした。20歳代から60歳以上までを5群(男女各10名)に分けた。喫煙習慣、呼吸器疾患および循環器疾患の既往、換気障害、BMI≧30ある人は除外した。胸腹部呼吸運動を測定するため3次元動作解析装置(VICON MX)を使用した。測定部位は、両側の鎖骨内側1/3、そこから尾側へ下ろした垂線上の第3肋骨、第8肋骨、肋骨下縁からおよそ2cm下(側腹部)、中腋窩線上の第10肋骨、そして正中線上の胸骨角、剣状突起、剣状突起と臍部の中点(上腹部)の13箇所とし、反射マーカを貼付した。測定条件は、リクライニング車いすを利用した背臥位および座位の2姿勢における安静呼吸と深呼吸とした。2姿勢はランダムに設定し、安静呼吸を1分間測定した後に、最大吸気位から最大呼気位までの深呼吸を3回繰り返した。安静呼吸では安定した連続5呼吸のマーカ移動距離(3次元)の平均値を、深呼吸では最大値を1呼吸として、1/2呼吸分のマーカ移動距離とそれを身長で標準化したデータを求めた。また、分析したデータから安静時の呼吸数を計算した。姿勢別および性別の比較には、それぞれ対応のあるt検定と対応のないt検定を用いた。年代別の比較はTukeyによる多重比較法を用いた。有意水準は5%とした。
【説明と同意】対象者には研究内容を書面および口頭にて説明し同意を得た。また、本研究は所属施設の倫理委員会の承認を得て実施した。
【結果】安静呼吸におけるマーカ移動距離の平均値は、背臥位では胸郭部が1.8~4.3mmであり、第8肋骨が最も大きく、次いで第10肋骨、第3肋骨、剣状突起、胸骨角、鎖骨の順となった。腹部は7.1~9.9mmで上腹部のマーカ移動距離が大きかった。座位では胸郭部が2.6~5.1mm、腹部が5.5~6.8mmであった。深呼吸におけるマーカ移動距離の平均値は、背臥位で胸郭部が20.9~30.9mm、腹部が31.5~37.4mm、座位では胸郭部が26.0~33.0mm、腹部が29.4~32.9mmであった。年代別にみると、安静呼吸では、背臥位の上腹部マーカ移動距離が20歳代より60歳以上で大きい傾向を示したが、有意差は認めなかった。深呼吸の背臥位では鎖骨、胸骨角、第3肋骨のマーカ移動距離が20歳代で他の年代より有意に大きく、座位では剣状突起のマーカ移動距離が20歳代より60歳以上で有意に大きかった。性別による比較では、安静呼吸の背臥位で第10肋骨を除く胸郭部のマーカ移動距離が女性で有意に大きく、腹部では左側腹部を除くマーカ移動距離が男性で有意に大きかった。座位では第10肋骨、腹部のマーカ移動距離が男性で有意に大きかった。深呼吸の背臥位では剣状突起、第8肋骨、第10肋骨、腹部のマーカ移動距離が、座位ではすべてのマーカ移動距離が男性で有意に大きかった。姿勢別にマーカ移動距離を比較すると、安静呼吸では左第10肋骨を除くすべての胸郭部のマーカ移動距離は座位で有意に増大し、腹部は座位で有意に減少した。深呼吸でも同様な結果を示したが、第10肋骨は座位で有意に減少した。標準化した値の多くも同様な結果であった。呼吸数は、背臥位より座位の方が有意に多く、年代および性による有意差は認めなかった。
【考察】本研究は、観察による呼吸運動評価の参考値を提示するため、胸腹部上に貼付した反射マーカの3次元移動距離を測定し、年齢、性、姿勢による違いを検証した。その結果、安静呼吸では年代による呼吸運動の明らかな違いはなかったが、60歳以上では背臥位の上腹部に増大傾向を認めた。深呼吸では加齢に伴い上部胸郭の呼吸運動が減少しており、その可動性低下が上腹部の呼吸運動に影響している可能性がある。逆に、座位では60歳以上で剣状突起の呼吸運動が増大した。座位では脊柱が屈曲しやすいことから、上部胸郭可動性低下を代償するように脊柱を利用した呼吸運動になっていたことが考えられる。また、女性より男性が、座位より背臥位において横隔膜呼吸が優位であることが示された。
【理学療法研究としての意義】
本研究は、健常者における胸腹部呼吸運動の参考値を示したものであり、呼吸運動評価を的確に行うために必要な情報であると考える。