抄録
【はじめに、目的】 寝返り動作は身体背部すべてがベッド上に接した状態で開始され,支持基底面が連続的に変化する非常に複雑な動作であり,動作を客観的に分析した研究はわずかである.このことから,理学療法士が患者に対し寝返り動作を指導する場合,様々な動作方法で行われている現状にある.また,若年健常者における寝返り動作開始時,下肢での床押し力で体幹運動パターン(骨盤と肩甲帯が分離して回旋,骨盤と肩甲帯が同時に回旋)が判別できると報告されている.そこで本研究は,寝返り動作のパターンを決定する要因が動作にどのような運動学,運動力学的な影響を及ぼすかを明らかにすることを目的とした.【方法】 対象は若年健常者11名(平均年齢21.9±1.8歳)とした.計測は体表に赤外線反射マーカー26点を貼付し,三次元動作解析システムVICON 612(カメラ8台)と筋電計(DKH社)を用いて行った.寝返り動作計測に先立ち,静止立位の測定を行い,その後,動作時間(「できるだけ速く」,「3秒」)と下肢での床押し力(「床をできるだけ強くおす」,「床をできるだけ押さない」)で条件設定し,右側への寝返り動作を施行させた.計測したマーカー位置より上部体幹(体幹に対する頭部の)角度,下部体幹(骨盤に対する体幹の)角度を算出し,静止立位角度により補正した.動作時のベッド床反力の変化を簡易ベッド下に配置した6枚の床反力計により計測した.動作時の右内・左外腹斜筋,右腹直筋,左腰背筋の筋活動を筋電計より計測した.各筋電図測定値は最大随意収縮時の振幅値を100%として正規化した.各条件下で行った測定値の平均を最大随意収縮値で除し,最大随意収縮に対する割合(%MVC)を求めた.分析は,体幹角度,体幹筋活動値,ベッド床反力値の平均値を従属変数とし,動作時間と下肢での床押し力の2要因で二元配置分散分析を行った.【倫理的配慮、説明と同意】 本研究は,国際医療福祉大学倫理委員会の承認を得,対象者に書面及び口頭にて説明し,承諾を得て行った.【結果】 体幹角度では,下肢での床押し力の要因で,上部体幹の屈伸角度,下部体幹の屈伸・回旋角度に主効果がみられ,強い床押しをさせた場合,動作中の体幹角度の減少と骨盤からの回旋運動が起こる動作パターンとなる傾向がみられた.一方,床を押さないよう指示した動作では,動作中の体幹角度の増大と頭部からの回旋運動が起こる動作パターンとなる傾向がみられた.体幹筋活動では,下肢での床押し力の要因により,腹直筋・外腹斜筋活動値に主効果がみられ,強い床押しをさせた場合,腹直筋・外腹斜筋活動値の減少が見られた.ベッド床反力は,動作時間において,左右成分に主効果がみられ,動作時間が速い動作の方が,大きい値を示していた.【考察】 寝返り動作開始時,下肢で強く床を押させた動作では,体幹角度値が小さくなったことから,体幹パターンは骨盤と肩甲帯があまり分離しないで回旋するパターンとなることを意味していた.しかし,床押しにより,動作開始時に骨盤の速い回旋運動が起こることで,床押しをできるだけさせないように指示した動作に比べ,動作中の腹直筋・外腹斜筋活動値の減少が見られた.一方,床押しをできるだけさせないよう指示した動作では,骨盤と肩甲帯の分離は大きいが,頭部・肩甲帯からの回旋運動となり,動作中の体幹角度や腹直筋・外腹斜筋活動値が大きい値となっていた.すなわち,強い床押しは,床押しにより得られた反動を利用し,骨盤の速い回旋運動が誘発され,身体の中で比較的重い骨盤・下肢からの動作となるため,腹直筋・外腹斜筋活動値の減少が見られたと考えられた.骨盤と肩甲帯の分離運動は,寝返り動作のみならず,起き上がり,前方リーチ,その場での360°ターンといった身体活動において重要な要素である.しかし,本研究の結果より,寝返り動作開始時,下肢での床押しを利用することで,体幹の分離運動のみならず,下部体幹(骨盤)からの分離運動を行わせることで腹直筋・外腹斜筋活動の面では効率の良い動作が行えると考えられた.【理学療法学研究としての意義】 今回の寝返り動作における運動学的分析により,下肢での床押し力を活用させた寝返り動作では,速い骨盤の回旋運動が起こることで,腹直筋・外腹斜筋活動が減少することが明らかとなった.これらの結果は,腹直筋・外腹斜筋の筋力低下を有する症例に対し,動作指導を行う場合に有効であると考えた.