抄録
【はじめに、目的】 認知症ではないが軽度な認知機能の低下を有する状態は、軽度認知障害(mild cognitive impairment: MCI)と呼ばれ、地域に在住する高齢者を対象とした大規模疫学研究では、MCIの有症率は概ね5~7%とされている。健忘型MCI高齢者の半数、および記憶以外の認知機能にも問題を持つMCI高齢者の3分の2が、3年間の追跡期間中にアルツハイマー病へ移行し、心理的問題を合併した場合にはさらに高い移行率を示す。一方、38.5%のMCI高齢者は、5年後に正常な認知機能へと回復するとした報告もあり、認知症を予防するためには、MCIから脱却するための取り組みが重要となる。MCIを有する高齢者を対象とした介入研究では、認知機能の向上を認めるものもあれば、変化が認められなかったとする研究もあり、その効果は一定していない。その原因のひとつにMCIの定義が明確でなく、MCIの中にも多様な問題を持つ高齢者が存在するためであると考えられる。そこで本研究では、MCIを有する高齢者を対象として、6か月間の認知機能の変化から認知機能向上の予測因子を検索し、認知機能が向上する対象者の共通因子を検討した。【方法】 対象者は自宅に居住する65歳以上の高齢者1,543名のデータベースから、Clinical Dementia Ratingが0.5、もしくは主観的記憶障害の訴えがあった528名のうち135名が詳細な認知機能検査を受け、Petersenの基準に合致したMCI高齢者100名(平均年齢75.4歳(65-95歳)、男性51名)を対象とした。そのうち50名は週2回、6か月間の運動教室へ参加した。評価項目は、認知機能の向上を確認するためにMini-Mental State Examination (MMSE)、Alzheimer’s Disease Assessment Scale-Cognitive subscale (ADAS-cog)、ウェクスラー記憶検査(WMS-R)の論理的記憶(即時再生、遅延再生)を実施した。認知機能向上の予測因子として、ベースライン時の年齢、性別、教育歴、総コレステロール、ヘモグロビンA1c、脳由来神経栄養因子、血管内皮細胞増殖因子受容体1、および運動実施の有無とした。分析は、6か月間の介入期間中における認知機能の変化を調べるために対応のあるt検定にて比較した。6か月後に向上の認められた認知機能検査から、認知機能の向上の有無を従属変数とし、潜在的予測因子を独立変数とした多重ロジスティック回帰分析を行った。【倫理的配慮、説明と同意】 対象者には本研究の主旨および目的を口頭と書面にて説明し、同意を得た。本研究は国立長寿医療研究センター倫理・利益相反委員会の承認を受けて実施した。本報告に関連し、開示すべきCOI関係にある企業などはない。【結果】 介入前後の比較においてADAS-cog(P < .05)、 WMS即時再生(P < .01)、WMS遅延再生(P < .01)が介入後に向上した。これらの変数における向上の有無を従属変数とした多重ロジスティック回帰分析では、ベースライン時の総コレステロール値がWMS即時再生の向上と有意に関連した(オッズ比0.98、95%信頼区間0.96-1.00、P < .05)。また、ADAS-cogの向上と脳由来神経栄養因子が関連した(オッズ比1.07、95%信頼区間1.02-1.13、 P < .05)。【考察】 認知機能の低下は認知症発症と強い関連を持ち、認知機能向上のためのプログラムが介護予防事業などを通して実施されている。プログラムの実施に際して、事前に対象者の属性から認知機能の向上効果が得られやすい者を知ることは、実施計画立案にあたり重要な情報となる。中年期における高い総コレステロールは認知症のリスクであることは多くの研究により証明されているが、高齢期における総コレステロールの値についての見解は一致していない。今回の短期間の記憶機能向上という点については、低い総コレステロールレベルが機能向上と関連していた。脳由来神経栄養因子は、神経細胞の発生や成長、維持、修復に働き、学習や記憶などに重要な働きをする。認知機能の向上と血清での脳由来神経栄養因子の増加との相関関係が臨床試験で確認されており、本研究においてもそれらの先行研究を支持する結果となった。【理学療法学研究としての意義】 認知症予防の対象者を選択しなければならないとき、総コレステロール値と脳由来神経栄養因子の値が参考として用いられる。運動による認知症予防のための取り組みが始められる現在において、理学療法士はその中核を担うべき存在であり、本研究の知見は介護予防事業などの実施において直接応用できるものである。