抄録
【目的】 実際の身体運動と運動観察,運動イメージは共通する神経基盤であることが明らかとなっている(Grezesら;2001).歩行の観察によって実際の歩行時と類似した脳活動が得られることが報告され(Isekiら;2008),8人の健常高齢者に対する臨床試験では,健常若年者の歩行観察後に歩行速度が有意に増加することが示唆されている(Bantyら;2010).また,運動観察と身体練習を組み合わせた運動観察治療(Action Observation Therapy;以下AOT)が,身体練習や運動観察のみに比べ,効率的な学習を導くと証明されている(Celnikら;2008).下肢機能障害に対するAOTの臨床報告では,整形外科疾患,パーキンソン病に対する有効性は報告されているが,脳卒中片麻痺患者を対象とした報告は散在する程度である.よって,本研究の目的は,脳卒中片麻痺患者に対して,歩行映像を用いた運動観察治療の効果を検証することである.【方法】 対象はクモ膜下出血後左片麻痺を発症し,2か月経過した67歳の女性とした.研究開始時の理学所見としてFugl-Meyer下肢項目は31/34点,下肢筋力は非麻痺側5,麻痺側4レベル,下肢表在・深部感覚はほぼ正常,Mini-Mental State Examinationは26/30点,半側空間失認,失語症などの高次脳機能障害は認めなかった.Functional Independent Measureは120/126点で,院内ADLは補助具なしでの歩行にて自立レベルであった.研究デザインはABデザインを用い,Aを基礎水準期,Bを操作導入期とした.基礎水準期,操作導入期はいずれも1週間とし,介入は週に5回実施した.また,研究期間中通常の理学療法も施行した.基礎水準期では身体練習のみを,操作導入期では運動観察治療を行った.運動観察治療では,参加者本人の歩行映像を6分間観察し,直後に最速での10m歩行練習を8回実施した.観察に使用した歩行VTRは,参加者本人が5m歩行路で快適歩行を行っている場面を,前後左右から各4本デジタルビデオカメラにて撮影した.VTRは計16の歩行映像を約3分間に編集し,13.3インチのパーソナルコンピューターにて2倍速で再生した.VTR中の歩行速度は6.0km/hであった.参加者は椅坐位で模倣する意図を持ってVTRを観察するよう指示された.基礎水準期での身体練習は最速での10m歩行練習を8回行った.評価項目は最大10m歩行時間と歩数とし,各期の直前直後,介入1週後に測定した.【説明と同意】 先行研究の知見や方法について口頭及び紙面にて十分に説明を行い,自由意思にて同意を得た.【結果】 10m歩行時間は基礎水準期直前,直後,操作導入期直後,操作導入期1週後において10.1秒,9.6秒,8.1秒,8.1秒であった.歩数は22.6歩,22.4歩,19.6歩,21.0歩であった. 【考察】 AOT後,10m歩行時間,歩数ともに減少が認められた.本結果より,AOTが脳卒中片麻痺患者の歩行障害に対しても有効である可能性が示された.運動観察では,他者ではなく自身の映像を観察したときにより鮮明なイメージが導かれること,模倣する意図を持つことでミラーニューロンシステムや中前頭回,小脳の活動が増加することが報告されている(Grezes;1999).また,観察後の運動が,観察した運動に影響を受けるという報告が多数ある(Watanabe;2008).本研究では,実際より速い自己歩行映像を,模倣する意図をもって観察することにより,鮮明な運動イメージが形成され,評価項目が改善したと推察できる.しかし,本研究では脳活動を評価しておらず,ミラーニューロンシステムを中心とする脳機構が賦活したか否かは定かではない.また,一症例検討であること,麻痺が軽度であること,回復過程であることなどの問題があるため,それらを除去した研究デザインで効果を検討していかなければならない.【理学療法学研究としての意義】 一症例研究ではあるが,脳卒中片麻痺患者の歩行に対する運動観察治療の効果を検討した本研究は意義深いと考える.